山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

映画表現の辺境へ

私たちの恥ずかしいフィルム@neoneo坐

上映作品は次の3本。 新川保茂+山崎幹夫『The Musical Box』1980年/25分 内村茂太『猿!ゴリラ!チンパンジー!』1995年/16分 山田勇男『追分』1991年/20分 まずはじめに、今年(2012年)の7月、府中で内村さんの「ほぼ全作」上映が催されたとき「おや、あ…

フィルムらしさを目で触感しよう@neoneo坐

このプログラムの上映作品は、 大川戸洋介『東京幻影談』1994年/40分 大谷高美『水葬』2011年/14分 しらくまいく子『She was looking at the sea』2012年/6分 しらくまいく子『as always』2012年/11分 大谷高美は復活したシネヴィスシネマをやっている人、し…

高校生映画ふたたび@neoneo坐

8ミリというメディアのおかげで、映画というものが高校生でもつくれるものになった。 80年代の8ミリ自主製作映画ブームのなかで、とりわけ目立っていたのが、高校生がつくった映画だったと思う。 自主製作映画の中心はやはり大学生なのだけれど、高校生が…

ホームムービーデイ@松山市

行ってきました。松山市。じつは福祉ビデオの仕事でも年初めに松山市に行っているので、今年2回目になるんですが、四国唯一のミニシアターである「シネマ・ルナティック」には、いまの場所に移転して初めての訪問。 ホームムービーデイは、中四国(中国地方…

小型映画作家の発掘/吉田順彦2@neoneo坐

前回の吉田順彦プログラムをやったときに、この人の作品を紹介してくれた人に「15人以上お客さんが来たら秋に第二弾やりますよ」と言ったのでした。で、春の上映での来客数は17人。ということで第二弾をやることに。 春の上映ではドラマ作品を入れてなかった…

少年少女の夏休み@neoneo坐

では上映までにプログラムごとに解説書いていきましょう。「3.11以降の8ミリ映画」は大西健児が集めたプログラムなので、それ以外の5プロについて。 順番にいきましょうか。 「青空学校」というのは、そもそもは小学校の先生が中心になって、小学校に泊ま…

関根博之その3/特別なゾーンの発見と交感

その1その2と書いてくると、まるで関根博之=廃墟のように決めつけているように思われるかもしれない。ここで大きな声で「それだけじゃないぜよ」と言っておきたい。 たとえば『Tokyo Sanpo Vol.2』や『Tokyo Sanpo Vol.3』あるいは『渋谷仙人』のような作品…

関根博之その2/廃墟を遊泳するカメラワーク

多くの廃墟DVD映像が「つまらない」のは、その凡庸なカメラワークにも一因がある。 ではどんなカメラワークがいいのか、そのみごとな回答が関根博之作品にある。ただし、簡単にマネできるものではないのだけれど。 関根博之の廃墟映画は、まるで廃墟全体が水…

関根博之その1/廃墟映画の最高峰『六本木の廃墟』

関根博之といえばやはり廃墟をじっくりと撮影した数々の8ミリ映画であり、そのなかでも最高の到達点に達しているのは『六本木の廃墟』だろう。つまり、廃墟映画の最高峰は関根博之『六本木の廃墟』で決まり。 俺じしんが廃墟好きだから、自作品にもよく廃墟…

石井秀人その3/ゆるりとしたたる光

かなーり昔から言われていることだけれど、ビデオ作品の光よりも、フィルム作品の光の方が気持ちいいのはなぜだろう。 ビデオ作品を見るモニター、ディスプレイ、ビデオプロジェクターにせよ、フィルム作品を映写機の光で見るにせよ、どちらも人工の光である…

石井秀人その2/静止画像がウインクする!

詩というものを解説しようとすると、まるで健康食品の効能を説いているかのような気になってくる。理路整然とは対極にあるシロモノなのかもしれない。 ところで石井秀人の『小さな舟』は、もっぱら老人と老婆の顔を正面からとらえた写真を、さらに8ミリカメ…

石井秀人その1/石井秀人は詩人である

石井秀人の詩集がほしい。 いま、私の思いつきでそう書いたわけではなく、石井秀人は詩をいくつか書いていて、それを同人誌に発表したことがあり、自分で自費出版で詩集を発刊しようという気がある。 ほんのちょいとだけ引用してみよう。 遠い彼方でゆれる小…

大川戸洋介その4/非アイデンティティ映画

自分のこれまでの人生で、わりとよく知っている友人で「おれは悟りを開いたぞ」と言い出した人間が2人いる。「おお、それはおめでとう」と言いながら、内心は「あわれなやつ」と思っていた。 こんなこと書くと怒りを買うかもしれないけれど、その2人とも、も…

大川戸洋介その3/蠅のカメラワーク

横光利一の掌編小説で『蠅』という作品がある。蠅の視点から人間たちに起こった悲劇を記述した小説だ。 大川戸洋介の「理に落ちない」映画を「これはいったい何なのだ」と考えているときに、ふと「これは蠅の主観のカメラワークなのかもな」と思ったのだった…

大川戸洋介その2/しゃあしゃあと映画をつくる

大川戸洋介の映画の不思議をさぐるためには、その撮影現場を見てみることが一番だろう。 「大川戸、俺らも撮ってくれよ。何でもするぜ」と言ってみたら、 「いいよ」とじつに軽く返事してくれた。 それで、森永憲彦と私が撮ってもらったというか、出演してい…

大川戸洋介その1/理に落ちない映画

2006年12月17日のこのブログ(まだ「映像制作ノート」だった頃です)で、大川戸についてこんなことを書いている。全文引用します。 本日は8ミリ教室@spaceNEO。 リクエストがあったので大川戸洋介の『夢主人』を、ずいぶん以前に大川戸からいただいたビデ…

おぎわらまなぶ『二番目のしあわせ』/不幸をねつ造すること

おぎわらまなぶは映画をつくろうと思った。それもドラマではなく、日記映画を。 ところがすぐに、とても困ったことに気づく。「僕のこれまでの人生には、これといって特筆すべき不幸がないじゃないか」と。 それで彼は不幸をねつ造することにした。 ああ、も…

山田勇男その3/東京という迷宮『薄墨の都』

この記事はラ・カメラ発売の山田勇男DVDのなかで書いた文章を引用しちゃいます。 直面する快楽に押し流されて日々でれでれとアイマイに生きている僕らが、やはり直面する快楽のひとつに属する酒飲みの席で、なんとなく盛り上がってしまって、勢いと成り行き…

山田勇男その2/光のスイーツ『青き零年』

『青き零年』のことを評して「これはケーキみたいな映画だから」と言ったのは村上賢司だった。それを聞いて私は「なんとうまいことを言う」と思ったものでした。 前の記事で「『家路』あたりで想像力の腫れはひいた」と書いたけれど、いちがいにそう断言はで…

山田勇男その1/腫れた想像力『スバルの夜』

ではひさびさに作家論に戻りましょう。 自分の作品の上映で何回か「腫れた想像力の産物」というフレーズを使ってきた。私の作品で言えば『非解釈』から『ゴーストタウンの朝』までの、初期の作品の上映でそのフレーズを使った。しかし、これは私の作品より、…

映画をつくることは快楽である

映画をつくることは快楽だ。それも、けっこう長く持続する。 どんなカス映画になってしまったとしても、その中には1ショットぐらいはうまく撮れたと思えるカットがある。それを上映するたびに快感にひたることができるのよ。ここがエッチの快楽とはちがうと…

ヒロイン列伝番外編その2/筐理恵

ケチらずもう一人も紹介しちゃいましょう。 『Like a Heavenly Edge』もうひとりのヒロイン、筐理恵さん。 撮影現場では「りえちゃん」と呼んでいたので姓(芸名?)が「筐」だとはクレジットボード見るまでわからなかった。どう読むんだっけ。ゲーセンのゲ…

ヒロイン列伝番外編その1/月石えり子

ではコメント欄での新宅さんのリクエストにお応えして。 『Like a Heavenly Edge』のひとりめのヒロイン、月石えり子さん。その名で検索してみたけれど、みごとに何もひっかかりません。

映像のエロ表現その10/魅せる声

声もまた重要な要素だ。忘れがちだけど。 つい先日(2011年1月1日)に日本での放送(全13回)が終わった『ネクスト・アメリカン・トップモデル・シーズン6』で優勝したモデルさんは、番組の最初から最後まで南部なまりを指摘され、それが「欠点」であると審…

映像のエロ表現その9/人形(背徳)

人形はエロいんだけれど、それを映画のなかでうまく表現している例は、となると「はて?」となってしまう。ホラーではいくつもあるのですが。 アニメだと例えば『ローゼンメイデン』とか思い浮かぶのだけれど、アニメはちがうな、やはり。 そんなこと言った…

映像のエロ表現その8/もの喰う女

無心においしいものを食べる若い女。 すべてのアダルトビデオを見ることは誰にもできないことだけれど、たとえば援助交際ハメ撮りビデオなんかの冒頭で、ファミレスとかコンビニで買えるようなものを、素の表情で食べている女の顔のショットを撮れないものだ…

映像のエロ表現その7/廃墟

廃墟もまたエロいものだ。 けれども、コスプレと似ていて、たくさん存在する写真集、DVDを見ても、いや、見ていないが、たぶんそこに「廃墟のもつエロさ」はないと思う。写真集、DVDにすることで、やはり「作業」になってしまっているからだろう。 ん? とい…

映像のエロ表現その6/エロと散歩

エロと散歩は似ているような気がするな。 どちらも、最短距離でいってはいけないもの、というココロ。 散歩を「路地を徘徊する快楽」とか言い換えてもいい。回り道をする。「お、こんなところにこんな路地が」と発見する。「あ、ここに抜けるのか」とかいう…

映像のエロ表現その5/自主製作映画

自主製作映画はエロい。いやちがう。自主製作映画だからってエロいシーンがあるのはほんのわずかしかない。けれども、たとえちょろっとおっぱいが見えているだけのようなシーンでも、それは商業映画の何倍もエロい。 だから自主製作映画の作者はそのことに自…

映像のエロ表現その4/女子プロレス

女子プロレスはじつはさほどエロくはないけれど、女子プロレスのおもしろさを構成している要素のひとつにエロがあることはまちがいない。 では、その「エロ」とはどんなものなのか。 男子プロレスの主要テーマである「肉体や精神の強さと、強さへと向ってい…