山田勇男その3/東京という迷宮『薄墨の都』
この記事はラ・カメラ発売の山田勇男DVDのなかで書いた文章を引用しちゃいます。
直面する快楽に押し流されて日々でれでれとアイマイに生きている僕らが、やはり直面する快楽のひとつに属する酒飲みの席で、なんとなく盛り上がってしまって、勢いと成り行き、場当たり主義的なうろつきとどんぶり勘定的なカメラワークによってつくり出されたのが『薄墨の都』だ、という気がする。
そもそもは寺山修司さんが生前、路地をテーマにした映画を撮ろうと思っていた、ということが発端だったと記憶する。具体的にどんなイメージを思い描いていたのかは知らない。しかし直接、寺山さんを知っている山田勇男(監督)と、取り巻きに阻まれて3mまでしか接近できなかった私(撮影)とのコンビが、寺山さんも気づかなかった東京の路地を発見できるだろう。そんな、裏付けのない確信はあった。
「ニューヨークは果てしのない空間、出口のない迷路だった。どんなに遠くまで歩こうと、またどんなによく隣人や街路を知るようになろうと、彼はいつも自分が迷子になった気持ちがした。街の中だけではない。自分自身の中でも。散歩をするたびに、彼は自分を置き去りにしているように感じた。人の流れに身をまかせることによって、自分がひとつの目になることによって、考える義務から逃れることができた。このことは何よりも彼にある種の平安を、健康な空白をもたらした。世界は彼の外に、彼の周りに、彼の前にあった。刻々と変化するそのスピードが、彼にひとつのことを長く考える余裕を与えなかった。身体を動かすことが肝心だった。一方の足を前に踏み出し、それに合わせて体を動かすことだ。目的もなくさまよい歩いていると、どこへ行っても同じことで、自分がどこにいるかは問題ではなくなる。気が乗っているときは、自分がどこにも存在しないように感じられた。そして、それこそ彼が求めてきた状態だった。どこにも存在しないこと。ニューヨークは、彼が作り上げたその非在の場所だった。そして彼は二度とニューヨークから離れられないと思った。」(ポール・オースター『シティ・オヴ・グラス』、山本楡美子・郷原宏訳、角川書店1989)
このニューヨークを東京に置き換えれば『薄墨の都』の芯の部分になるように思う。