山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

石井秀人その3/ゆるりとしたたる光


かなーり昔から言われていることだけれど、ビデオ作品の光よりも、フィルム作品の光の方が気持ちいいのはなぜだろう。
ビデオ作品を見るモニター、ディスプレイ、ビデオプロジェクターにせよ、フィルム作品を映写機の光で見るにせよ、どちらも人工の光であることにかわりはない。それぞれの光源の色温度が異なることに由来するとも思われない。
たぶん、憶測だが、「石井秀人その2」で記述したような、光の明滅、つまり不規則なフリッカーに由来するのではないかと思っている。
けれども、そんなことはどうでもいい。そのメカニズムを解明したとしても、もっともっと根源的なことがそこにはある。
言ってしまえば「センス」だ。
「姿勢」でもいいか。
作品をつくろうとして、自分を追い込んでいく「姿勢」。
カメラを持ち、シャッターチャンスを待つ「姿勢」。
シャッターを押し、そして離すタイミングの「センス」。
現像が上がってきたものをより分け、つないでいくときの「センス」。
そこに「ことば」や「音」をつけることに関するさまざまな「センス」。
そうしたものが総合的に作用して、石井秀人作品でなければ見ることのできない光がスクリーンの上に現出し、ことばや音がスピーカーから流れ出してくる。そうして「作品世界」がつくられる。
いやいや、こんなふうに形容してみた文章を読むよりも、体験した方が早いでしょう。機会あるごとに石井秀人の作品を上映しておりますので、ぜひぜひ体験してみてくださいな。
たかだか、スクリーンに、映写機の光がフィルムを通して投射されているだけなのに、なんだよ、このゆるりとなまめかしい光は。
まるで、スクリーンからしたたり落ちそうじゃないか。