山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

関根博之その3/特別なゾーンの発見と交感


その1その2と書いてくると、まるで関根博之=廃墟のように決めつけているように思われるかもしれない。ここで大きな声で「それだけじゃないぜよ」と言っておきたい。
たとえば『Tokyo Sanpo Vol.2』や『Tokyo Sanpo Vol.3』あるいは『渋谷仙人』のような作品を見ていただきたいと思う。いや、見ていただきたいと思うから上映会を組むわけだけれど、あきらかにほかの関根博之の廃墟映画と比較して観客が少ない。これはとてももったいないことだと思う。
「廃墟」としてこの世界に存在している物件だけに「廃墟性」が宿るわけではなくて、そのようなものは大なり小なり、人間の住む(住んでいた)場所にはあまねく存在している。
また、廃墟を訪問して感じる、愉悦とは、廃墟に限定されたものではないはずだ。射精をともなう行為だけが性的な行為ではないのと同じこと。
話がズレたけれど、関根さんのカメラは廃墟だけに向っているわけではない。廃墟のなかでも、水のしたたりや生き物、廃棄されたもの、壁の汚れの濃淡がつくる模様、その他いろいろ。
そんないろいろが「ゾーン」を醸し出す。この「ゾーン」ってのは、タルコフスキー監督作品『ストーカー』で言うところの「ゾーン」だと思ってください。つまり「特別な場所」。
そんな「ゾーン」を発見し、交感することが作品であってもいい。いいというか、そういう作品ってのは思い切り背徳的なシロモノだと私は思うのだけれど、いかがでしょう。
背徳というコトバを使ったので引き出されるのだけれど、関根博之の作品には「スカートめくり」の感触があるのですよ。女性のスカートをめくるのではなくて、街のスカートをめくっているわけ。でもとびきりエロチックではある。だって、廃墟のスカートをめくってみれば、飛び出してくるのは猫のミイラだったり、はるか南の島の過去の情景の16ミリフィルムだったりするわけで、女性のスカートの中身よりもぐっとくるでしょ。
添付画像は『渋谷仙人』(のスチール)。