山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

おぎわらまなぶ『二番目のしあわせ』/不幸をねつ造すること


おぎわらまなぶは映画をつくろうと思った。それもドラマではなく、日記映画を。
ところがすぐに、とても困ったことに気づく。「僕のこれまでの人生には、これといって特筆すべき不幸がないじゃないか」と。
それで彼は不幸をねつ造することにした。
ああ、もうここまで書いてしまったら、じゅうぶんに「ネタばれ」の領域じゃないか。内容についての記述はここまでにとどめておこう。
ありもしない自分の不幸をねつ造して語るわけだから、これはドキュメンタリーではない。フィクション映画だ。だけれども、スタイルはオーソドックスな個人映画を貫いている。
確信犯だ。
でも、そんな「仕掛けだけ」しかこの映画に存在しないとしたら、それは「さもしい」「あざとい」作品でしかない。そうではない。この作品は、そんな「ウソつき」な姿勢なのに、そうせざるを得ない真剣さに貫かれている。
そうだ、そこが重要なポイントだ。
私は、自分の『虚港』という作品を、その作者であるがゆえに楽しめない。『虚港』をつくった自分のなかにある「エンタメ精神」を自覚しているものだから、自分で自分を「あざといなオレ」と思ってしまうのだ。他人が楽しんで見てくれているようだから安心するけれど、とても自分で楽しめる心境にはならない。たぶん一生そうだ。
『二番目のしあわせ』には、おなじ「ウソつき」映画であっても、たぶん『虚港』にはないような誠実さを感じる。真剣さと言ってもいい。ぎりぎりのところで成立される真剣さ。友川かずきが「生きているって言ってみろ」と怒気をはらんで酒ビンを突き出すような、そんな泥くさい味わい。