山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

映画をつくることは快楽である


映画をつくることは快楽だ。それも、けっこう長く持続する。
どんなカス映画になってしまったとしても、その中には1ショットぐらいはうまく撮れたと思えるカットがある。それを上映するたびに快感にひたることができるのよ。ここがエッチの快楽とはちがうとこ。
エッチの快楽だと、射精しちゃうと終わりでしょ。エッチに持ち込むまでが盛り上がっていて、もう射精するはるか前にうんざり感に浸食されていたりするもんだし。もっと言えば、2、3回エッチしてしまうと、もうあとはどう円満に別れようかということばかり考えたりして。
その点、映画は最初に書いたようなわけで、何度でも快楽が持続するぞ。

よく、映画を批判する言い方で「オナニーだ」というものがある。まあ、自己満足しやがっているだけで、観客を置き去りにしている作品は多い。とくにプロデューサーというフィルターの入らない自主製作映画では、すこぶる多い。それは間違いない。
でもなぁ、つくった本人さえ満足できないような作品が、どうして他人も満足させられるの?と思う。まずは、それがうぬぼれであって結構、つくった本人が「俺スゲー」と思えるようなものをつくることを目指していいでしょ。

添付画像を何にしようと「8ミリ映画画像フォルダ」を開いてみたら、自作品『ゴーストタウンの朝』のこの画像がぱっと目についた。
これは単純に石丸さんの顔のまわりを電球をぐるぐるまわして(まわしたのは助監督してもらった、エマーソン北村くん)、それを5重撮影しただけのことなんだけれど、いいショットになりました。上映するたびに「どうよ」という気分になります。