山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

映像のエロ表現その9/人形(背徳)


人形はエロいんだけれど、それを映画のなかでうまく表現している例は、となると「はて?」となってしまう。ホラーではいくつもあるのですが。
アニメだと例えば『ローゼンメイデン』とか思い浮かぶのだけれど、アニメはちがうな、やはり。
そんなこと言ったら映像だってちがう。写真もやはりちがう。人形はそのものが、そこにいないとな。いのちのない物体なのに、なぜこんなにも強い存在感をはなつのか。
それはやはり、人形づくりという表現行為が、あらゆる表現行為のなかで、もっとも背徳的な行為だからだろう。
あ、そうそう、背徳。しまだゆきやす君主宰の「背徳映画祭」なんてのもあります。エロの背中側には、ひたっとこの「背徳」が寄り添っています。
でもね。
背徳をひっぺがすと成立しないエロでは、ひ弱だと思うのですよ。だからこれまでエロ成立の要素として背徳は掲げなかったわけで。
それはともかく……。
人形は動かないから、コマ撮りで動かしてみる。そうすると、アニメーション映画の文脈のなかに取り込まれてします。
では、人間とからませてドラマをつくってみる。そうすると、人間と人形とのあからさまな差異を埋めることができなくなってしまう。
おっと、そんなふうに書いてみて思い出したぞ、あれだ、プロレスのDDTのヨシヒコ(プロレスカテゴリの記事参照ください)。ダッチワイフであるヨシヒコをプロレスラーとして扱うことで、きわめて上質の作品(試合)をつくりだしていたっけ。そこにはエロ表現はなかったけれど、何か重要なヒントはあるような気がする。

添付画像は未公開の自作品『Like a Heavenly Edge』より。2006年に取り壊されたらしい、大阪の「軍艦アパート」の屋上のへり(エッジ)に、伽井丹彌(かいあけみ)さんの人形を座らせてみた1ショット。