大川戸洋介その2/しゃあしゃあと映画をつくる
大川戸洋介の映画の不思議をさぐるためには、その撮影現場を見てみることが一番だろう。
「大川戸、俺らも撮ってくれよ。何でもするぜ」と言ってみたら、
「いいよ」とじつに軽く返事してくれた。
それで、森永憲彦と私が撮ってもらったというか、出演しているのが『さよならロマンス』という作品。添付画像は私っス。人民帽なんてかぶってやがら、それで花をくわえてら。若いのお。
もともとストーリーものではないから、集って撮影といっても「どうしよう」「こんなことしたらおもしろいかな」「お、それいってみよう」なんてノリで、つまりごくフツーの映画ごっこ、遊ぶ半分の撮影ごっこだった。まー、私のことだから、普通よりももっと悪フザケしてみせただけで、撮られる自分も楽しかったし、大川戸も笑いながらカメラをまわしていた。
何ひとつとして魔術的要素というか、これまでの映画づくりになかったような画期的なことなど、ただのひとつもなかった。
だから、大川戸が特異なのは、そんなふうにして撮られた映像を、ひとまとめにつないで「はい映画ができました」と上映してしまうことなのかもしれない。
「しゃあしゃあと映画をつくる」と大川戸のことを形容していたのは、たしか大西健児だったと思う。そう、しゃあしゃあと。
悩まない。くよくよしない。へこまない。
人間は愛さずにはいられない、叫ばずにはいられない。たいていの映画にはこのような情動(エモーション)表現は不可欠だ。なのに、大川戸映画にはそれらが見当たらない。なのに、どういうわけか感動してしまう。
突き抜けているのだ。人間的ないろいろなことを。