山崎幹夫の各種センサー

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山田勇男その2/光のスイーツ『青き零年』


『青き零年』のことを評して「これはケーキみたいな映画だから」と言ったのは村上賢司だった。それを聞いて私は「なんとうまいことを言う」と思ったものでした。
前の記事で「『家路』あたりで想像力の腫れはひいた」と書いたけれど、いちがいにそう断言はできないだろう。つづく『銀河鉄道の夜』『巻貝の扇』『悲しいガドルフ』と、商業映画と比較してみれば、じゅうぶんに「腫れまくった」作品群だと言えるだろう。だって、集団でこんな映画つくっていた人たちはほかにいませんでしたもんね(断言)。
村上賢司のことばをちょっと改変して「光のスイーツ」ということにしましょう。うん、いいキャッチかもしれない。
「想像力の腫れ」うんぬんはともかくとして、集団製作を進めていくことで、最初の『スバルの夜』にあった何かが急速に失われていってしまっていることは、山田勇男も感じていたのだろう。重度の機会オンチである山田勇男が、みずから8ミリカメラをまわし始めたことには、失われつつあるものを取り戻し、もっと「濃いもの」を現出させたいという欲望が存在したにちがいないと思っている。
みごとに成功した。
きわめて個人的なまなざしの集積であるはずなのに、そこにあるのは、個人を超えたなにものか、まだ名づけられないものだった。
ピントが合っていないのに美しい。
物語がないのに、感動的な物語よりも強く心が共振してしまう。
そしてなによりも、きわめて繊細なものであることが伝わってくる。