岡本知己『MB映画』に足りなかった「腫れ」
先だっての8ミリフィルム映画祭で自分の初期作品『非解釈』『ターミナルビーチX』を「腫れた想像力の産物」と題して上映してから、この「腫れ」というコトバが自分の頭のなかで繰り返しキーワードとして行ったり来たりしている。
自分は蓄膿症でした。早い話が鼻たれ小僧。しかも結核もあったから、鼻腔と肺が腫れていたわけだ。とくに鼻腔はアタマに近いから、脳みその、想像力の部分にも腫れが影響していて、それでヘンなことを妄想して、ヘンなものを産み出したのだ、そう思っている。
この「腫れ」は微熱を生む。微熱はおかしな高揚をもたらすものだから、この「腫れ」は「ハレとケ」の「ハレ」にも通じていくのだろう。
自分が産み出したもの(映画)も含めて、70年代後半から登場したいくつもの8ミリ映画には、この「腫れた想像力」がもたらした、ほかでは類を見ない表現が見いだせる(と思っている)。
さて、今年もフィルムセンターにて始まったPFF入選作回顧上映。なんともレアな『MB映画』という作品が上映された。映写技師の私も初見。
眉毛がほぼつながっている作者の、自分撮りの根暗な個人映画としてスタートし、しらばらくしてからドラマっぽい展開を見せて、無意味に女性を脱がしたりする。しかし唐突にドラマを放棄して、自分の父親を撮ったり、現在の恋人とディープキスしたりするありさまを見せびらかして終わる。
あまりおもしろくはなかった。「腫れ」が足りない。
それにしても観客は4人。
間違えて来たとおぼしき高齢者ひとりと、「前から気になっていたんですよ」という村上賢司のほか、若い男ふたり。
むしろ、この若い男ふたりが、何にひっかかってここに来たのかが気になった。
かつて高田馬場パール座で『風たちの午後』の上映のあとに「みんな帰るなー」と立ちはだかった矢崎監督のように、できることならそのふたりの前に立ちふさがって、聞いてみたかったなぁ。