山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

「自主上映運動」ってやつの功罪


昨日の記事を読み返して思ったことがある。
つまりあの当時、私たち(PFF映写技師=自主映画の作者やマニア)は室井滋さんを自主映画を代表するヒロインとして位置づけ、室井さんがメジャーになればなるほど自主製作映画も認知度とか商業的な価値が増加していくと単純に考えていたのだ。
いま思えば、
「そんなことないっスよね」
ちょっとクドく説明しといた方がいいでしょう(わかっている人には釈迦に説法だけれど、そうではない、大学生の人とかもこのブログを読んでいるようなので)。
つまり、その当時、まだ東映東宝松竹などのメジャー映画ってものがデンと存在していて、その抵抗勢力としてわれわれの「自主映画」ってものがあると考えていたのね。だから自主映画の認知のパラメーターが上がれば上がるほど、メジャー映画には亀裂が入っていく。そうのようにして、メジャー映画をまずは打ち倒すことが次世代の新しい日本映画をつくり出す、と。
だから、既成の映画配給ルートにたよらず、演劇で使用していたテントを利用して映画を公開しようとしていたシネマプラセットに協力していったわけだし、その頃活動していた札幌では取り壊しが決まった倉庫をフリースペースとして、音楽、演劇といっしょに映画館で見れない映画を上映する場にしてきたのだった。
それともうひとつ、フツーは「成り上がる」というルートを人は取るものだし、そのことは否定しないけれど、私たち(この場合は映像通り魔ってことになる)は「札幌から、その周辺の町や村への上映ルートをつくる」という活動をおこなった。
これはパンク的な考え方に基づいていたのだと思う。ヒエラルキーがそこにある場合、そこから生じてくる「権威」を否定するのがパンクだから。
ちょっと風呂敷を広げ過ぎて収集着かなくなりそうなのでこのへんで。
添付画像は私の『ターミナルビーチX』という作品の一場面。
前にも書いた記憶があるけれど、主演の川口くんの右手にブラ下がっているのは「石川さんは無実だ」というゼッケン。部落差別撤廃運動っスね。そうして背中にあるポスターが「民主カンボジアへの支援」呼びかけ。民主カンボジアってのは、つまりポルポト政権ってことです。あと、画面にはないけれど、カメラの左横には赤い背表紙の本があって、これはなんと「金日成著作集」なのですよね。
いったいここは何の部屋? これは公式的には北海道大学が「ロシア語研究会」に与えた部屋なのでした。しかし、もう廃部になってしまったサークルの権利だけをいただいて、ここはセクト革マルとか中核とか)には従属しないサークルの「避難所」として機能させていたのでした。