山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

726(ナツル)@マッスルハウス5の感動をひきずって考える


スカパー301ch「サムライTV」の無料デイに録画して観た、マッスルハウス5@後楽園ホール2008/1/3のことを、観た翌日になっても自分のなかで持て余していた。
心が動いた。すなおに「感動した」と書いてもいい。しかし、それを自分のなかにあるファイルのどの場所に、どんなタグをつけてしまいこんだらいいのか見当がつかなかったのだ。
見当がつかないまま、翌日、私は猫のエサを購入するために近くのディスカウントストアー「ドンキホーテ」に行った。ここは2chでも「DQNの巣窟」とされる場だ。つまり下流社会の吹きだまりの場。そこで、私は726(ナツル)のことを思い出した。彼はこんな場が似合う、安い雰囲気のレスラーだ。
興行は726(ナツル)という、これまで注目も評価もされてこなかったレスラーが、鈴木みのる高山善廣という「プロレスの強さの象徴」のような2人組にボコボコにされることで終わる。しかも残酷なことに、逃げられない状況に彼は追い込まれる。彼の妻が、亡くなってしまったというリアルな事実をつきつけられ、それゆえにここで「逃げてはならない」という理不尽な状況に置かれてしまった。
立ち向かう。
しかし体力もない、スキルもない、打たれ強さもない、何もない。
鼻水を垂らして、顔をくしゃくしゃに醜くゆがめて、ぜんぶそぎ落とされてしまった自分をさらすしかない。
リアルな現実も暴露され、リアルにトップのプロレスラーから蹴られ殴られ、ミもフタもなくリングにさらされた726(ナツル)が、
おや、輝いているではないですか。
これがプロレスにしかできない表現行為なのでしょう。
プロレスは「競技スポーツとしての格闘技と、演劇の中間に位置する表現の一種である」というのが私の考える定義ですが、このマッスルというリングは、さらに演劇に近づくことで、逆にスポーツではどうあっても表現できないシロモノを引き出すことに成功していると思います。
しかしこれ、巡業ができないスタイルですね。
目標は「武道館公演」だそうですが、マジ、年に2回だけ武道館で興行して、そこでしか見られない(PPVあり)というスタイルがいいのかも。