山崎幹夫の各種センサー

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ロバート・アルドリッチ『カリフォルニアドールス』

スカパー260chのシネフィルイマジカで表題の映画をひさびさび観る。公開当時に見て、その年のマイ・フェイバリットにした映画だ。なんてことはない人情小話系ハートウォーミングB級娯楽映画だけれど、80年代初頭の札幌でパンク的な8ミリ映画を撮っていた私は「アルドリッチって、アメリカの森崎東だよなー」なんて佐々木浩久なんかと盛り上がっていたと記憶する。
話はピーター・フォーク演じるマネージャーに率いられてノシ上がろうとする女子プロレスのペア「カリフォルニアドールス」の話。街から街へと巡業していくので、ロードムービーテイストもある。最後はハッピーエンド。
これを観ていて、イマひとつストレート過ぎると感じてしまった。この映画が製作された1981年ってのは、日本ではビューティーペアのブームが去って、デビル雅美vsジャガー横田の時代になっていた。(映画のなかで日本からきた女子レスラーチームとして、ミミ萩原とジャンボ堀が出演している)
いま観ると、映画としてよりもむしろ女子プロレスとしてもの足りない。ということは、女子プロレスという表現ジャンルじたいが、じつは男子プロレスよりも、この間に進化したということなのだ。
実例と私が思うものを3つ、ささっと書いておこうか。
●90歳の現役女子プロレスラー
アメリカの女子プロレスラー、メイ・ヤングは90歳超のおばあさんだけれど、自分は現役であると主張する。それを「これはエンタテインメントになる」と判断してWWEはリングに上げて試合をさせた。ストーリーラインの基盤は「やたら元気なアメリカの婆さん」というわかりやすいものだったので、すんなり視聴者に受け入れれたのではないだろうか。それよりも、そういうことが可能であるという柔軟性がおもしろい。これを受けて日本でももと国際女子プロレスのエースだった小畑千代(60歳代か?)が現役宣言したのだけれど、誰も食いつかなかった。エンタテインメント文化の差。
●無気力ファイター、真琴
トラウマを抱えて引きこもりだった少女が一念発起してプロレスラーになった。しかし無気力で、腕をひねられただけでギブアップしてしまう。そもそも無気力であるということと、プロレスラーであるということが矛盾している。しかしプロレスはスポーツであったり表現であったりする以上に、頓知のセンスを見せつける場でもある。誤解を恐れず書けば、かなり即興のダンスに近い。無気力でありながらプロレスラーとしてリングに立つ人間がいる以上、それにどう対処してみせるかでレスラーとしての表現力が問われるわけだ。そういう意味で真琴は難問だ。
●10歳の女子プロレスラー、りほ
これも難問。無気力ではない、気力マンマン。しかし10歳というハンデを背負う。ハンデがあるという意味では、じつは障害者プロレス団体であるドックレッグスにおける試合に近いものがある。
私があーだこーだ言うより試合を観てもらった方が早いかも。元気美佐恵、りほvs植松寿絵、真琴の試合のようすがYouTubeにupされてます。