山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

愛川ゆず季とミミ萩原のあいだの空白


ひとつ前の記事のneoneo坐イベントのあと「そうだ、スターダムを観戦したい」と思ったのだった(イベント参加いただいた知り合いの「星輝ありさはイイ」との言葉が気になったので)。
そこでプレイガイドにチケットを買いにいったら、2日前ということもあり、会場がキャパが少ない新木場ファーストリングだということもあり「売り切れ」だと。
そのスターダムに所属し、現役のグラビアアイドルでもある愛川ゆず季が2011年の「女子プロレス大賞」を受賞した。
女子プロレス大賞についてはこれまで関心がなかったのだけれど、レスラーとして1年のキャリアしかなく、グラドルという「色モノ」っぽいイメージの愛川が受賞したのはちょっとインパクトがあった。
考えてみれば「露出度が多く、本人もそれをウリだと自覚している」タイプのセクシー系女子レスラーって、80年代初頭のミミ萩原以来、かなーり久しぶりかもしれない。目指した人はいなかったわけではなかったけれど、あっという間に心が折れてしまったり、板につかないまま怪我をしたりして消えてしまったのだった。
本人のポテンシャルの問題。それと、素質はあってもプロデュースする人間がいなかったという問題。

↑ここまで書いて「ミミ萩原」をwikipediaで読んでいたら、この人、カルト教団にはまっていたという記述があって、そのカルト教団に関して読み始めてしまった。
さて、ひと段落してみたら、当初書こうと思った「愛川ゆず季の弱点と展望」についてはどうでもいいような気持ちになっていた。
どうでもいいレスラーと思っているわけではなく、現段階では見守るしかないのだろうということ。
しかしひとつだけ気になるのは、こういうセクシーさをウリにする女子レスラーが、なぜこうも長い期間に渡って「隙間」になっていたのか?ということだ。
ミミ萩原のことを思い出すと、80年代初頭、女子プロレスの客はほとんどが男性で、それもデビル雅美が演歌を歌っていたことからも類推できるように、プロレスに対してマニアックな客ではなかったと思う。
(自分は1983年と84年に北海道大学プロレス観戦愛好会の立ち上げに参加して活動していたのだけれど、そこでのメンバー間の雑談でも、女子プロレスの話題はなかったと記憶する)
そうして1985年ぐらいになるとクラッシュギャルズのブームが始まって、女子プロレス会場は若い女だらけになって、オッサンは居づらい雰囲気になったのだった。
で、そのあとが団体対抗戦の時代になり、そのときにファンになった人間が、いまの女子プロレスのメインの観客なのだろう。
日本女子プロレスは、ミミ萩原以降、このテの路線は捨てたようだ。
後発のジャパン女子プロレスも、設立当初に秋元康がかかわっていたことでもわかるように、アイドル路線だった。
FMWならセクシー路線をやりそうだったと思うけれど、女子レスラーにそれをやらせるのでなく、最後のあたりではAV女優をリングに上げたりしていたっけ。
そうこうしているうちに、キャットファイト団体というものができてくる。知らない人も多いだろうけれど、ポロリもありのエロさをウリにしたプロレスっぽい見せ物のことを言う。
アダルトビデオの存在が、映画からエロ表現のさらなる深化を阻害してきたように、キャットファイトの存在が女子プロレスから「あからさまなセクシーさを見せつけること」を遠ざけてきたのかもしれない。