山崎幹夫の各種センサー

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ロックバンド「針生」最後のステージ


映像作品『DRAW』目的で行ったわけだけれど、おおかたの客はロックバンド「針生」の最後に立ち会うためにそこに集まったのではないだろうか。
ロックバンド「針生」は針生夏樹(Vo)と海老名淳(G)を中心にしたユニット。聞いたことはなかったけれど、針生夏樹がどんな歌詞をつくり、どんなふうな歌をうたうかは、15年前にさんざん聞かされていたので想定内。しかしそれがどんな「ロックバンド」なのかはまったくわからなかった。
最後のステージは普通のカラオケの逆、つまりバンド演奏は生で、針生夏樹のボーカルのみ録音されたものが流された。その演奏を聞いて、私の予想とはずいぶん異なるものであることに驚いた。私は、簡単にたとえてしまえば、灰野敬二ふうの、ボーカルが揺るぎなく前に出ていて、しかも神経にゴリゴリ触ってくるようなものを予想していたのだ。
しかし実際には、針生夏樹のボーカルは演奏に埋もれてしまっていた。そしてかなり存在感のある彼から(映像に記録されたものを見ての感触に過ぎないが)さっぱりオーラが放たれていない。
オーラってのは、こんこんと泉のように涌き出してくる。しかし泉も唐突に涸れることがあるように、オーラも燃料切れで中断することがある。
ボーカルの死によってバンドが終了という意味で、どうしてもじゃがたらを思い出してしまう。
じゃがたらのボーカル、江戸アケミは最初から強烈なオーラを発散していた。ところが、発狂→入院→故郷(四国)で静養しているうちのどこかで、オーラは消えていってしまった。少なくとも私はそう感じた。じゃがたらに関して私よりも緻密につきあっていた山本政志も「入院直前あたりが最高だったな」と言っていたと記憶する。
「これでもう消滅します」というようなことを海老名淳が言うと、会場から「記憶の中で生き続けるよー」とかいった内容の声が飛んだ。じつに適切な合いの手だ。記憶に残るかぎりは、バンドは生きているのだ。
それだけでしかないのだけれど。それでじゅうぶんだろう。
記憶に残るライブが一度でもできればいい。おなじように、記憶に残る映像作品が一本でも完成できればいい。
魂をひきかえにしたとしても、それはなかなか困難なこと。