自分の映画歴語りその2/映画ごっこのはじまり
何回も語ったり書いたりしたことだけれど、私はまず8ミリによる「映画ごっこ」からスタートした。
自分がかつて親によって撮影されたことのある(つまりホームムービーね)8ミリカメラをタンスの奥から出してきて、友人たちと8ミリ遊びをしたのだった。1974年のこと。
さきほどそのフィルムの冒頭部を映写してデジカメで撮った。添付画像がそれ。東村山第二中学校の廊下を、向こうからうれしそうな顔をして走ってくる私。
べつにドラマでもなんでもない。そんな稚拙な断片的な映像の集積なのだけれど、いっぱしにタイトルとプロダクション名までつけてあった。
タイトルは『ロック・サド・イン・ジャパン』。あー恥ずかし。しかし70年代ネーミングですなあ。ロックだったり、サド(サディズム的=攻撃嗜好)がカッコよいことばだと、中学生的に感じていたのだろう。
プロダクション名は「ひきつけプロ」。これは元ネタは何だっけ。たぶん筒井康隆の短編の何かだったような気がするのだけど。
それにしてもこの発色は、外式フィルムじゃないか。私が言うところの「しあわせ色」に発色しているし、まったく退色もない。いまから思えばなんとぜいたくな。そんなことが、せいぜい中学生三人がこずかいを出し合ってフィルム1ロール買って現像できた(たしか合わせて1000円以下)のだった。
思い出話はともかく。ここが自分のスタート地点だ。
ある意味、でたらめに、他者に見せて通用させるという「作品」意識はひとカケラもなく、ただ「映画ごっこ」としてつくられたフィルム。
しかし、これも映画だ。
でたらめ、めちゃくちゃ、自分たちだけ楽しめればよしでつくると、すぐに行き詰まる。そうしたら、今度はお手本(おもしろいと感じた作品)をなぞってみればいいのだ。そうしているうちに、飽きてしまうかもしれないし、もっともっとのめりこんでいくかもしれない。映画だけでなく、そのほかの表現ジャンルすべてに通用することだろう。
より多くの人に通用させるためには、素養とか訓練みたいなものは必要だろう。しかし、たった一作でもいい、人の記憶に末永く残るような作品をつくるには、もしかしたらありとあらゆる「教育」は必要ないのかもしれない。
とにかく、ここを自分は忘れてはならない。
映画ごっこすることがうれしくてうれしくて、「うひょひょーっ」と廊下の向こうから走ってくる自分。そこには戻れないけれど、その気持ちを忘れないでいようとする姿勢を保ち続けることはできるはずだ。