山崎幹夫の各種センサー

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三日月バビロン公演『玻璃ノ翅音(ハリノハオト)』


開幕してすぐ、主演の木原春菜の向こうに後ろ向きに座っている梅原真美の黒髪が闇から浮かび上がる。
「ああ、演劇っていいよなぁ」とわたしは思った。その長い黒髪の、まさに目の前にある実在感は圧倒的だ。映像ではなかなかこれが表現できないんですよね。照明をムダに当ててみたりとかしても、なかなか細かい部分の実在感が表現できない。ましてビデオで撮ってたりすると、まっさきに省略(データ圧縮)されてしまう部分。
その長い黒髪を、これみよがしにはらりと振り回して倒れる場面もあった。音もなく、黒髪がみごとに床に散る。「!(おおっ)」
黒髪のことから書き出してしまったけれど、今回の劇は、なんだかやたらと役者さんの存在感がデカく感じた。安定しているというのとも違う。まー、みなさんそれぞれのキャリアを積んできたわけだけれど、この劇で演じている役柄をみごとに取り込んで、役者としての存在感を放ちまくっている。
昨年の秋に公演する予定だったのが、半年延びたのが幸いしたのか、それもあるかもしれないけれど、たぶん、気合いの入り方もちがったはずだ。
だって、震災の影響を被って、いつもの練習場所が使えなかったという事実をわたしは知っている。思い返してみよう。この劇の稽古をしていた3月4月、いったいいつまで続くのか、もしかしたらもっとデカいのが来るんじゃないかとおびえながらの毎日だった。そして、ちょっとネタばれになるけれど、この劇の時代設定は大正14年の東京、関東大震災は重要なできごととして登場してくるわけですから。
そんなもろもろの緊張感が、いい方向に作用したのだろうと思う。和風幻想奇譚として、じつにうまくまとまった舞台に仕上がった。娯楽作品としてもよくできている。舞台上で展開される謎と、それらがラストに向けてひとつのおおきな物語のかたちをとってまとまっていくのが、とても心地よかった。
そして、あとから物語を振り返ってみると、すべてを語り切っていないことに気づく。まだ埋めるべきピースがあるのだ。それが欠落ではなく、いい意味での余韻になっているのはさすが。
苦みのテイストを残さずに終わったのは、今回に関しては正解だろうと思う。どうしても劇中に震災が出てくれば、現実にテレビなどで見せつけられている震災を想起せざるを得ないわけだから、シンプルに暖かい印象を残して終わってくれてほっとした気持ちになったのだった。