山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

自分の映画歴語りその1/『プ』から『虚港』へ


11月7日の8ミリフィルム映画祭で『虚港』を上映したさい、上映後に私は「この頃はなぜかとてもサービス精神が盛り上がっていた時期でして」と、製作の動機を語ったのだった。
そう語りながら「それはどうしてだっけ?」と思っていた。
しばらくして思い出した。直接の動機はその前につくった、私のフィルモグラフィー的には唯一の「商業映画」である『プ』があったからだ。
『プ』は1億円以上の製作費がかかっている。工夫すればその半分ぐらいでできた映画だと思うけれど、私もそういう点ではシロートだったし、製作会社であるパルコの社員であったプロデューサーもちょいとやりかたを誤ったと思う。
自主製作映画とはケタ違いの製作費がかかったことについては商業映画であるからしかたないことだとして、ホトホトまいったのは監督である私の提案のほとんどが通らないことだった。
説明のしかたがマズかったこともあるだろう。短気すぎたきらいもあっただろう。
しかし、ワケわからないものをつくろうとはしていなかったはずだ。できるだけ多数の人がおもしろがってもらえるものをつくろうと思っていたことに間違いはない。なのに、そんな思いに基づく提案もほとんどは却下されてしまった。
結果的にできあがった『プ』が、つまらない映画だとは思わないけれど、もっとおもしろくする自信とアイデアがあっただけに、くやしい気持ちをひきずったままだった。それで、なんとも前向きなことに、それを次の作品製作へのエネルギーにブチ込むことにした。
それでできたのが『虚港』というわけ。
1億円も使わずとも、50万円でそこそこおもしろがっていただける作品をオレは作れるんだーっ、ということを証明したかったわけですよ。
で、まあ、みなさんおもしろがっていただけたようなので、私としては満足してしまったのでした。
山形ドキュメンタリー映画祭で賞をいただいて、その記者会見なるものが開かれたとき、「次回作はどんなもの?」と聞かれ私は「風流な映画です」と答えた。
その通り、それからはずっとほとんど人間(役者)の出ることのない作品ばかりつくっている。

添付画像は『プ』。
さてこのブログ連載、他人の作品を語るにあたって、やはり自分の作品履歴を振り返るべきだろうと思い当たった。そんなのはさっさと済ませたいけれど、有料公開した作品だけでも80作以上あり、さらに「映画ごっこ」していたときの作品も含めてみれば100作品ということになる。
でも、自分語りなんでカッコ悪いと思っているので、さっさと終わらせたいのです。だから駆け足でいきます。ホントに重要な部分だけね。それでも10回ぐらいかかっちゃうかなあ。