山崎幹夫の各種センサー

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映像のエロ表現その1/わき毛


作家論はあとにして、まず考えたいのが「映像でのエロ表現」だ。自分はこれまでいろんな映画をつくってきたけれど、まともに「エロ表現」に立ち向かったことはない、それは「エロ表現はジジイに近づいてこないとムリかも」と思っていたからだった。だって、小説で言えば、川端康成にしても谷崎潤一郎にしても、偉大なエロ表現はジジイになってからでしょ。
しかし時期尚早かもしれないけれど、50歳も過ぎたことだし、あれこれ考えてみることにしよう。

80年代にアダルトビデオというものが出回ってから、映画は「エロ表現」に関しては遅れをとっているような気がする。
けれども「じゃ、凄いエロい映像での表現って、何があるのよ」と考えてみると、じつは「これだっ」というのがないことに気づく。いや、リサーチ不足かもしれない。なにしろ映画のみならず、アダルトビデオ、それも合法非合法ふくめると、とんでもない数のエロ表現が世の中に出回っているわけだし。
でも、記憶をめくり返してみよう、何がエロい映像だったか。
うーん。
そうね。黒木香のわき毛見せびらかしはエロかったかもしれない。
20年前ぐらいでしょうかね。テレビでももてはやされたから、若い人は知らないかもしれないけど、ある程度の世間的認知はあったでしょう。
あれは一種の隙間産業みたいなものでもあったし、それに黒木香さん本人のエロ女優力みたいなものがあった。
それまで映画でのわき毛と言えば50年代イタリア映画の『苦い米』でのシルヴァーナ・マンガーノのわき毛がうんぬんされるくらいだったと思う。日本映画だとラインシリーズの三原葉子とかかな。でも、それがエロいというはっきりとした認識ではなかった。
それを「どうです、エロいでしょう」と見せつけることに意義とショックがあったわけだ。フェチ意識を見事に掘り起こしたわけだ。
似たようなことは恐怖とか笑いにもある。恐怖を引き起こすものを映像で提示するのでなく、恐怖の反応をしっかり見せることで観客の反応を誘発する。おなじように笑いの発作をうまく見せることで笑いを誘発する。

そう考えてみると、これはちょいとズルい手段だな。