山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

西武園プールの私と妹(1969年)


ありゃー、昨日アップした記事が反映されてないぞ。どうやら送信忘れしたようだ。
そんな呆然とした思いで一昨日の記事をながめているうちに思い出したことがある。
私の作品『極星』のなかで引用した、自分が親に撮られた8ミリフィルム映像の一ショットだ。
それは1969年だと思う。私が10歳で、妹は5歳。カメラを回したのは父なのか母なのかは知らないが、少年だった私が、妹の背中を押して、子ども用のプールに向かって駆け出していく映像だ。
この『極星』という8ミリ映画は、全編シングル8でつくられている。だから、私が子どもの頃の映像を挿入するのも、オリジナルのそのままのフィルムを切り取ってきて、スプライシングテープでつないだだけなのだ。
なのに、その他のシーンに比べると1969年のこの一連のホームムービーは色がじつに彩り濃い。これにはワケがある。
この頃のシングル8は「外式」といって、あとから色をつける現像方式だったからなのだ。最後の最後まで「外式」だったコダクローム40とおなじ方式ね。ということは、じつはシングル8がもっともよい発色をしていたのは「外式」をやめてしまう1970年代初頭までの、ほんの数年間だったということになる。
それより以前は、8ミリは高価で金持ちの家の子どもしか撮られていないだろう。そして、80年代後半になれば8ミリはすたれて、もっぱらビデオによって撮られることになる。
子どもの頃、「外式」の8ミリフィルムによって自分の姿が記録されたということは、とてもすてきなことだと思う。その感謝にも似た気持ちが、8ミリで作品を撮り続け、8ミリ普及のために何かをしようという気力の原動力になったのでしょう(なんか他人事のように書いてますが)。