山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

人が死んだあとは夕焼け


高田馬場駅前の芳林堂のあるビルを出ると、街ぜんたいにオレンジ色のフィルターがかかっている。
天頂まで染まるような雄大な夕焼けだった。見回すと、携帯電話のカメラで撮っているひとがチラホラいる。「私もいま持っているデジカメでこれを撮ってしまったら負けだ」と思って撮らなかったのだけれど、そういうカタイ態度はよくないとあとで反省する。
それにしても、大西健児の映画でもそうだったし、長屋美保の映画でもそうだった。山田さんとの『往復』でもそうだった。人が死んだあとに夕焼けの映像がきたっけ。これは映画文法というか、自然の流れにそくした映画的文脈なのだろうかと思うほどだ。
私の作品『猫夜』のなかで、神岡猟が私(カメラ)に向かって「これ、返す」と8ミリカメラを突き出し、「じゃ」などとわざとらしく言って片手を上げ、川沿いの遊歩道を夕陽の方に向かって歩いていく。遊歩道をずっといってから、最後にぎこちないしぐさでまたこちらに向かって手を振ってからフレームアウトする。(添付画像)
キャラクターの死。
自分の作品のなかで、ずいぶんと長いこと出演してくれた神岡猟(もちろん芸名だ)は、この時死んだのだ。『虚港』のなかで、通行人としてカメラの前を通り過ぎたのは、まだ成仏できないでいる神岡猟の思念みたいなものだ。
神岡猟というキャラが脱落したあとの、現実世界では日立製作所社員のKくんは、知り合った女性と結婚し、子どもを2人つくり、さいたま市のはずれに一戸建ての家を建て、そして2002年に病死した。
1983年の晩秋に撮影された『逆行の夏』(こんどneoneo坐で上映します)のなかで、神岡猟は「ほいよっ」と犬飼久美子にカバンを渡す。カバンを開くと、そこには8ミリフィルム(シングル8)がざくざくと入っている。このとき、シングル8よりも先に犬飼久美子と神岡猟が死んでしまうとは、私は夢にも思わなかった。