山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

街に人がいるかいないかその中間か


深谷市である理由」を書こうと思ったのだが、やめた。昨日の記述を読み直してみても、それがなぜ「作品制作に結びつくような理由」であるのかがわからないから。
深谷市についてもあれやこれやの「思い入れ」「記憶のこびりつき」があるけれど、省略。
それよりも、画面に人間を入れこむのか、それとも入れ込まないのか、はたまた『眠る永遠主義』のように、遠景で通行人が入るようにするのか、そこらへんの方針はあらかじめ決めておくべきだろう。
『眠る永遠主義』の場合、最初は人間が画面にうつりこむのを避けていた。
しかし撮り進めていくにつれ、風景のなかに人間(通行人)がいないということはけっこう不自然なものであって、観客心理としては「どこかに人がいないか」と、つい探してしまうことに気づいた。そこで、なんとなく奥行きのあるショットでは、かなり遠くの方に誰か通行人がいるように撮ることにしたのだった(いないときはしょうがないけれど)。
夜景をねらうので、今回は順光や逆光については考えないでいいだろう。それよりも、へんに発光するもの(街灯やネオン)に惹かれてしまわないように気をつけよう。大川戸洋介のような昆虫カメラではない。あくまでも「神経を集中している散歩者」という感じでいたい。レンズになると言っても、はなから無機質ではない。そこには神経繊維があって、その有機質な反応が、しだいに純度を高めていくようにできればいい。