山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

亀裂とゾーン


ちょっと前の「被災地に行ってきた」の記事のなかで「自然災害による廃墟・廃屋化にはカメラを向けようと思う気持ちがそそられない」というようなことを書いた。
書いたあと「ちょっと、いや、かなりちがうな」という思いがあって、しかしどう言葉にしたらいいかわからなかった。
そうして画像フォルダをなんとなくながめていると、福岡市内で撮った画像が目についた。添付画像がそれです。
カラスによるいたずらだろう。べつに福岡市特有のものではない。住宅地ならばどこでだって起こること。
しかしこのありさまを目にして、思わずカメラを取り出し、一枚画像を撮ったということは、この光景に「ソソられた」わけだ。何に「ソソられた」のか。
言葉で説明をつけるとすれば、それは「カラスのいたずらによって、日常に小さなひびが入ったから」と言うことができるだろう。ものの10分ほどで復旧されてしまうような「亀裂」だけど。

いっぽう、廃墟・廃屋はそこに「亀裂」があるわけではなく、そこにあるのは「ゾーン」(タルコフスキー監督の『ストーカー』をイメージしてます)と呼びたいものだ。
人間によってつくられた建造物があるが、なんらかの理由で放棄されたままになっているもの。そこでは、いったんは人間によって介入された「建物の存在する意味」が、宙吊りにされている。
そこに足を踏み入れ、目的もなくうろつきまわっているうちに、自分にもいっぱい貼り付いている「意味」が、多少なりとも剥がれていくわけでして、それを自覚するのは快感なのね。
被災地のものもろのものは、宙吊りにはされていない。瓦礫は片づけられるべき存在であり。そのあとの土地にはドデンと「復興すべし」という意味が貼り付いているわけだから。