山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

藤原テロ事件のときの北大プロレス観戦愛好会


昨日に記事にした『げんしけん』を読んでいて「そう言えばオレ、プロレス観戦サークルを立ち上げたこともあったけな」と思い出した。
その頃(1983年)、プロレス団体は全日本、新日本、全日本女子しかなかった。じつにシンプルな時代だった。
全日本と新日本はそれぞれ年に2回、札幌での興行をやっていて、会場(中島体育センター)の2階席に横断幕を貼るのは、プロレスサークルがあった北海学園大学に独占されていた。そこで、北海道大学としてもプロレスのサークルを立ち上げて、そこに参入しようと思ったのだった。
年に2回の札幌大会がこのサークルのハイライト。だって、一瞬だけれど、横断幕はテレビ中継にうつされるわけでして。
年に2回ってことは、なんかコミケに似てます。ん?ちがうな、新日本と全日本で2回ずつだから4回でした。
その横断幕に書く文言を何にするかで、集まって会議する。
よい宣伝文句をつくるときのような激しい議論がかわされるわけですよ。
せっかくテレビに一瞬うつるはずだから、センスのいいものにしたい。
布を買ってきて、見栄えのいい字を書く手間ひまもあるわけだし。
興行が終わったら、一階席に降りていって、みんなで横断幕を背景にして記念写真。そして徒歩でススキノに移動して飲み会。
で、そんなことをした最後が1984年2月の新日本プロレス札幌大会だったわけですよ。
プロレスファンならわかるでしょうけれど、この時は日本プロレス史に残る事件が起こったわけです。
セミファイナルの藤波辰巳vs長州力の直前に、中堅レスラーだった藤原喜明長州力を襲撃して、試合不成立にしてしまったのね。
これを「藤原テロ事件」と言う。
まープロレスですから、今ふうに解説してしまえば、藤原を現在の鈴木みのるのような存在にオーヴァーさせる(持ち上げる)ための仕掛けだったのでしょうけれどね。
でも大混乱のまま興行を打ち切らされて、現場の観客は欲求不満ですよ。当然です。東京だったら放火する人もいたでしょう。逆に言えば北海道人は温厚だと思って、こんなナメたことをしたのでしょうね。
まーしかし、そういうことも新日本ならではと受け入れます、オタクというレッテルはなかったけれど、間違いなく、私たちはプロレスオタクなわけですから、そういうマイナスの事象も楽しむマニア心を持ってます。添付画像でもわかるように、猪木信者ですからね、当時は。
で、まあ、そんな荒れた気持ちを引きずったまま、大学生が10人ほど、無言でススキノまで歩きます。
私が誘導して、忘れもしない、金富士という、つまみ1品と2級酒2杯で500円で済むという店に入りました。
さあ、困ったのは乾杯の音頭です。
いつも「○×に乾杯!」とするのですが、今回は不穏です。こういう雰囲気は大好きなので私はニヤニヤしてしまいました。
代表が、思い切って、
「藤原に乾杯!」と言ったのです。そりゃそうです。今回の興行の主役は、史上はじめて藤原喜明だったのですから。
しかし、このサークルに数少ない女の子メンバーは、代表が「藤原喜明に乾杯!」と言った瞬間、「ブー!」と反応した。彼女らは長州力のファンだったから。
そうして火種をかかえたまま飲み会が始まったわけです。あとはご想像にまかせます。
25年前の話です。