山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

三日月バビロン公演「ファンタスマゴリア」連想


さきほど公演終了して、映像関係機材を片付けて帰宅しました。8ミリ映写機はエルモを3台使用。どれも古いので、いつお亡くなりになっても不思議ではないシロモノ。幸い、ランプ切れもなく、無事終了しました。ああ、よかった。
今回、久しぶりに5回の公演とその前の段階からつきあってみて、思うところはいろいろとあります。
しかし、なぜこんなに、のめり込んで付き合っているのか。それは作・演出の櫻木バビの書く世界に、自分のツボがあるからだ。
それは小児病棟。サナトリウムの世界。
いつもその世界がある。
少年少女であるときに、なんらかの病によって病院での治療を受ける。その体験がある人とない人でおおきな受け取りかたの差ができるだろうけれど、そもそも私が表現行為をおこない始めたとっかかりのところに、自分の子ども時代の病気の体験がある。
病名は小児結核。クイズにもできないほどありきたり。
雑木林が続いている。
私は車に乗って、父と母に連れられ、その病院に行く。
そこで、大きな機械が迫ってきて、私はとっさに「殺される」と勘違いして、必死の抵抗スイッチが入ってしまって、思い切り泣き叫んだのだった。
腫れた身体で、少年なりにいろいろな空想をめぐらして過ごす。
そうして巡らせた空想世界には、やはり腫れた想像力によって刻印された「不健康さ」がどこまでもまとわりついている。
私の初期作品『非解釈』『ターミナルビーチX』あたりには、そんな「小児病棟での腫れた空想」の雰囲気が濃厚に漂っていると自分では思っている。『海辺の記憶』『ゴーストタウンの朝』にもそれはあった。
それ以降はない。次の段階に進んでしまったのだ。(次の、来年5月の8ミリフィルム映画祭@neoneo坐でそんな初期作品、やりましょう。プログラムタイトルは「腫れた想像力」で)。
発熱しているときって、ちょっとハイになりますわな。想像力の方も、ちょいと活性化されます。少年の、まだエロとかテロとかにはっきりと向かわない想像力が、蓄電されてのちの「表現衝動」へとつながっていくわけです。
今回、公演スタッフとして公演全部につきあって、ツボを突きまくられました。あー、すっきりした、じゃなくて、いろいろニュルニュルしたものが出て来ちゃったよ。