山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

むかし多摩川は北東に向かって流れていた


地図をながめて、それを自分が地表をうろついているときの記憶と照らし合わせたりしています。
平野部の地形は、もっぱら川によってつくられています。なので川を中心に地図をみていて、あることに気づきました。
多摩川には、青梅あたりからずっと、北側から流れこんでいる支流がない、ということです。
どうしてそうなったのか?
高低差をわかりやすく視覚化した画像のあるサイトをみつけました。
http://www.asahi-net.or.jp/~kr6t-ngs/musashino/musashino2.html
この左の中ほどにある山のかたまりが「狭山丘陵」で、このなかに人造湖である多摩湖狭山湖があります。
注目したいのは、その狭山丘陵の左上の部分。ここにはっきりと、亀裂のような黒い線が見えます。
ここには不老川という川があって、じつはこの不老(とししらず/ふろう)川とその北を流れる霞(かすみ)川が多摩川がかつて流れていた跡に残された川なのだそうです。
なぜこうなったのかというと、立川あたりの断層の隆起が原因であるとのこと。
そのために多摩川はいまのような流れになったのね。ということは、武蔵野台地ってのは、北東に向かって傾いていることになります。だから現在、ほとんどの川が、北東に向かって流れ、どこかで荒川に合流しているのですね。
ところで、この川が台地に刻む筋って、何かを連想しませんか?
最初に私は武蔵野台地のことを「お釈迦さまのてのひらのように」とたとえたのだけれど、まるで手相でも見るかのようです。
そして、手相ってのも変化するように、台地のどこかの断層が隆起(あるいは陥没)することで川筋も変化するのね。
ってことは、お釈迦さまはてのひらをもそもそ動かしているようでもあります。あまりに緩慢すぎて、このてのひらの上で瞬間的とも言える生を駆け抜けるわれわれに察知できないことだけれど。