山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

結城庄司さんのニナウ


(昨日からひき続いて)結城庄司さんとはアイヌ解放同盟の議長。ニナウとはアイヌが儀式のときに使うもので樹木の枝を刃物で削って、ひげのようなものがたくさんついた状態にするもののこと。
狭山事件研究会の関連で、そのメンバーの多くはアイヌ差別問題にもかかわっていたので、結城さんのつくったニナウが部室にあったわけだ。せっかく北海道に来たんだから、アイヌの人と知り合いたいと思っていた私が初めて飲んで話をしたアイヌが結城庄司さんだったのいうわけ。「おまえはいくつだ?」と聞かれ「18歳です」と答えると、なぜか大きくうなずいたのを覚えている。その時、結城さんは何歳だったのかと、いま調べると39歳。
そして数年後に結城さんは亡くなる。
プレバブのサークル棟も壊されることになり、ロシア語研究会最後の部長である私は、結城さんのつくったニナウを自宅に持ち帰った。
それから十数年たって、アイヌの知り合いに頼まれて儀式に使ったものの処分を手伝うことになった。ニナウやらその他のものを河原にある場所にもっていき、そのまま放置するのだった。たいていのものは木でつくっているから、やがては腐食していって土に還る。そこでふと気づいたのだった。「あ、うちにある結城さんのニナウも、土に還すべきなんだ」と。
添付写真は『往復IV』からの1コマ。私が庭の切り株に酒粕(これも自主製作のもの)を塗り付け、結城さんのニナウを立てかけているところ。両手を広げて上向きにしているのは、儀式のさいにアイヌの長老(エカシ)たちがそうやっているのを真似してみたわけ。
ニナウはやがて黒ずみ、まっさきにひげもじゃの部分が脱落して、1本の棒になった。そうこうしているうちにどこかにまぎれて見えなくなってしまった。これでいいんだ、と思った。
ところでアイヌの儀式用のものたちを運んでいるときに、なかなか面白い光景ができあがった。そのことはまた明日書くことにしよう(ってなにげに連載になってます)。