山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

なぜ自分はアイヌ語を作品のなかで使うのか


この記事の表題のことについて書いておこうと思う。
ちょっとだらだらと個人的なことがらを長く書くことになるかもしれないのですがご勘弁を。

1978年のこと。
北海道大学に合格したので高校卒業直後の18歳の自分は札幌に住み始めた。
やりたいことはいろいろあったのだけれど、北海道にしばらく住むからにはアイヌの人と知り合いになりたいという気持ちがあった。
そこで初めて知り合いになった人が結城庄司さんという人だった。
アイヌ解放同盟の代表で、このブログは映画についてそこそこ詳しいひともいるだろうから、足立正生と一緒にシャクシャイン像の北海道知事の刻名を破損させて指名手配された人であるというエピソードを書いておく。そのほかの活動についてはこちら(wikipediaです)を。
結城さんは1983年に亡くなり、自分は1984年に卒業して東京に戻った。
そして結城さんが木を削ってつくったイナウを自宅の鴨居のところに飾っていた。
イナウというのはアイヌの神事につかわれるもので、そこにアイヌ八百万の神が神事のときに降りてくるもの。画像検索するとたくさん出てきます。
そうして10年ほど経て、映画『プ』の後片づけをしているときに、なぜかアイヌの神事に使ったイナウなどを石狩川のほとりのある決まった場所まで運んでいって欲しいと頼まれた。なんで日本人の俺らがやらされるのか、そんなにアイヌは人手不足なのかと思ったが、面白そうなので引き受けた。
で、その時になって初めて、神事につかったものは自然のなかに放置して、朽ち果てるに任せるのだということに気づいた。
そこで、家の鴨居のところに差してあった結城さん製作のイナウもそうするべきなのだと思ったのだった。それでお手軽に、庭に出した。そこらへんは山田勇男さんとの交換日記的な映像作品『往復』のどこかで撮影して挿入している。
さて、戸外に放置したイナウは順調に腐っていって、いつのまにか姿が見えなくなってしまった。
いま現在、添付画像のような感じになっています。
分子レベルではこのへんのどこかにまだ破片とか残っているのだろうけれど、人間の認識のレベルでは「消滅した」という状態になっている。

さて、ここからが重要なところなのだけれど、鴨居のところに差してあったイナウは、ほこりが積もり、当時は煙草も吸っていたのでヤニがこびりつき、庭に出す時点でけっこう汚くなっていた。そのままでいたら、さらに汚れて黒ずんでいっただろう。
ところが、庭に放置され、消滅していったことで、逆にイナウの存在は自分のなかに定着したのだった。アイヌに関する何かの記述を見るたびに「そうそう庭に結城さんのイナウを出してそれが分解して消えていってんだよな」と思う。
物理的には消えたのだけれど、自分の想像のなかでは分子レベルに分解して、庭中に飛散し、薄く充満している感じ。
ある種の永遠性を獲得してしまったのだった。
イナウには神が宿る。
ということは、結城さんのイナウにどんな神が宿ったのかは知らないけれど、それが自分の家の庭に拡散して薄いオーラのような感じで漂っているようなイメージが生まれた。

しかしそもそも、この武蔵野台地にずいぶん昔に住んでいた人は、アイヌ語を話していたはずだ。いたるところにアイヌ語由来の地名が残っていることからそれは推測できる。
しかし現在、北海道にさえ日常に使用することばとしてアイヌ語をつかっているいる人はいない。
自分が持ってきて、庭に放置して消えていったイナウのように、アイヌ語由来の地名が残っているということは、まだ、その痕跡がかすかに漂っているということだろう。
想像する。いろいろなことを妄想する。
事実をたどってみたり、論理的な物語の整合性があるようなものではない方がいい。
アイヌ語を冠する登場人物に、なんらアイヌにまつわるようなエピソードがないほうがいい。
イナウが、鴨居のところに飾られていて来客に「これはアイヌの神事につかわれるイナウです」と説明されても何ももたらさない。
むしろ庭で朽ち果てて姿が見えないいまの方が存在感があるわけだから、自分にとってアイヌ語の扱いはそういうふうにしようと思ったわけなのです。