山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

浜松のシネマヴァリエテの例


札幌や京都のように大学生が多くいる地方都市は、映像のみならず共同作業的な表現行為をこころざす人間にとっては仲間が見つけやすい場所だと言える。
浜松はその逆なのだ。大学は浜松医科大ぐらいで、それも町から離れている。
添付写真は私の作品を浜松でまとめて上映した1986年の時のもの(おそらくデザインは鈴木卓爾じゃないかな?)。この時を初めにして、2年に一度ぐらいのペースでワタシは浜松で上映に呼ばれた。そうして、70年代初頭の「イメージマーケット」というグループから80年代半ばに「シネマ・ヴァリエテ」と名称を変更し、いまだに解散することなく存続しているという理由がなんとなくわかる。
長く続く最大の理由は、リーダーの人間的な魅力がもちろん筆頭だとしても、大学生がいなかったことが大きい。大学生がいないので、ヴァリエテのメンバーは社会人と高校生なのだ。これはおもしろい。そして、浜松は家賃が安いので、ヴァリエテは「事務所」なる部屋を持っていた。そこになんとなく集まってうだうだ飲んでいたりするわけだ。「拠点」があるわけですな。
似たような条件の地方都市は他にもたくさんあるのに、なぜか浜松だけが突出して個人映画の上映をおこなってきた。細かい理由は他にもあるけれど、シネマ・ヴァリエテの前の代表、稲垣宏行と現代表、袴田浩之は、積極的に他の都市の映像作家との交流をはかったのは大きいと思う。自らの町のなかにぬくぬくと埋没することなく、つねに遠くのものたちとの交信を欠かさず、刺激を求める姿勢を続けてきた。この態度こそ、浜松の最大の特徴かもしれない。