山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

『極星』を思い出す


スペースNEOでの『極星』『猫夜』『虚港』一挙上映まであと10日だ。当日前夜までこのブログでよもやま話を書くことにしようと思う。まずは『極星』から。
撮影していたのは1985年4月から1986年9月ぐらいまで。初公開はひょんなことからユーロスペースになった。1987年4月だったかな。
1984年3月で大学を卒業し、就職などまるで考えずに東京に戻ってきた。大学の時の結成した「映像通り魔」は解散ということにして、自分は生まれ育った東京で、また新たな何かをしていこうと思ったわけだ。まずはPFFの映写技師のバイトに入れてもらった。PFFイベントが終わったあと、山本政志を一緒に『ロビンソンの庭』の脚本を書いた。そのあと、ぴあからの紹介でイメージフォーラムの助手になるのだが、すぐに父が脳梗塞で倒れ、看病のためにイメフォはやめる。11月に父が亡くなり、資産家ではないけれど後始末いろいろに忙殺される。
なぜそういう気持ちになったのかは説明できないが、ふと、大学生のとき、自分の映画に出演してもらって、出演してもらったということは当然ながら好きでもあった女性に電話をする。彼女は結婚して京都にいる。子どもも生まれたはず。電話番号は知らなかったので、大学での知り合いをたどって教えてもらった。電話をすると昼間だというのに彼女は酔っている。不審に思って問いただすと、どうも離婚することになりそうだと言う。チャンス!と思ったわけではなく、とにかく京都まで日帰りで会いに行った。鴨川のほとりに座っていろいろ話したような気がする。とにかく8ミリカメラを取り出して彼女を撮った。彼女は、それならイアリングをはずして川に落とすよと行って、その通りの行為をした。その映像素材が『泥のなかで生まれた』『VMの漂流』で使っているやつなんです。
そのあと今度は彼女が8ミリカメラを手にして私を撮ると言い張る。カメラを渡すと、カメラを回しながら「さあ、これからホテルにいきましょう」と言う。俺はとまどってしょうもないことを言ってしまう「それってさあ、××××じゃん」。ああ、青い。いま目の前にいたら殴り倒してやりたい過去のワタシ。
続きは明日。(添付写真は『極星』の画面写真4つ)