山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

8ミリフィルム映画祭2012秋@neoneo坐


プログラム詳細決定しました。もうちょっと近づいてきたら、1プログラムごとに「見どころ解説」みたいなものを書こうかと思ってます。
また、この前の週になりますが、愛媛県松山市でのホームムービーデイにゲストとして参加することになりました。10月20日(土)14時から、シネマルナティックのロビーにて開催。『夢のライオン』を上映する予定です。

10月27日(土)
15時~
プログラムタイトル= 少年少女の夏休み
東村山青空学校『青空学校inひのはら』(撮影=山崎幹夫)1985年/47分
山崎幹夫『りりくじゅんび』1987年/10分
大岱学童クラブ『おんたキャンプ ’86~白州』(撮影=山崎幹夫)1986年/15分

解説文=『青空学校』は小学校3年から中学校3年まで100人を募集して、東京都桧原村の廃校でキャンプした催しの記録フィルム。『おんたキャンプ』は『りりくじゅんび』の舞台となった学童クラブの夏のキャンプの記録フィルム。自分とはまるで縁もゆかりもないこうした映像を観る行為には何か不思議な快楽がある。脳の奥深くに放り込まれている無駄な記憶を喚起する働きがあり、それが自分の「いま、ここ」の輪郭を再活性化させるのかもしれない。

17時~
プログラムタイトル=小型映画作家の発掘/吉田順彦2
吉田順彦『森の中の女』製作年代不明/11分
吉田順彦『罪の前後』1966年/33分
吉田順彦『菜の花の伝説』製作年代不明/16分

解説文=前回好評だった吉田順彦作品の発掘第二弾。『森の中の女』はヌード映画。『罪の前後』はダブル8でのドラマ作品だが撮影の背景の60年代の静岡市繁華街も興味深く、また繰り出されるテクも驚異的なものがある。『菜の花の伝説』はドラマ仕立てのヌードあり作品。今回上映の作品を通じて、吉田順彦という人が小型映画作家というよりは、その後の自主製作映画に近い映画づくりをする作家だったということがわかるだろう。

19時~
プログラムタイトル=高校生映画ふたたび
中山章『虚空のイメージ』(静岡県立静岡高校)1982年/20分
斗麗月星野『風にひとりで』(大阪府立港高校)1981年/33分
都立富士高校映画部(自称)大江戸プロフェッショナル『必殺仕事人』(東京都立富士高校)1982年/25分

解説文=80年代に全盛期を迎えた8ミリ自主製作映画。その大半は大学生がつくった作品だったが、高校の文化祭のクラスの出し物としての8ミリ映画もさかんにつくられていた。いま振り返ってみると、そうした高校生たちによる8ミリ映画の方が、 しかもPFFに入選したりしていない作品の方が見ていて新鮮に感じる。今回、東京、静岡、大阪と地域的にもばらばらな80年代初頭の高校生映画を集めてみた。バブル経済前の日本の、黒髪、ロングスカートの高校生が目にまぶしい。


10月28日(日)
13時~
プログラムタイトル=フィルムらしさを目で触感しよう
大川戸洋介『東京幻影談』1994年/40分
大谷高美『水葬』2011年/14分
しらくまいく子『She was looking at the sea』2012年/6分
しらくまいく子『as always』2012年/11分

解説文=8ミリフィルムの終焉が近づき、この期に及んで8ミリフィルムを使った新作をつくる作家は、意識的に「フィルムならでは」の感触の表現に取り組んできたように思う。なかでも大谷高美、しらくまいく子は「まるで目で触感できる」かのようにフィルムらしさをスクリーンにディスプレイする作品を生み出してきた。この2人の作家の新作と、80年代から一貫してほぼ無自覚的に8ミリらしさを体現し続けた大川戸洋介作品を組み合わせてみてみたい。

15時~
プログラムタイトル=“3.11”以降の8ミリ映画
栗原みえ『チェンマイ・チェンライ・ルアンパバーン』2012年/45分
大西健児『サマードラム2012』2012年/13分
片岡けんいち『被爆人間X』2012年/17分

解説文=栗原みえ、大西健児、片岡けんいちという3人のフィルムメーカーは、それぞれ異なる表現スタイルを持ちながら、ほぼ終焉を迎えつつかる8ミリフィルムに最後の最後までこだわるという特異な姿勢を見せている。そしてもうひとつ、プログラムタイトルにも示されているように、それぞれの作品に共通して3.11が直接間接に影響を及ぼしている。

17時~
プログラムタイトル=私たちの恥ずかしいフィルム
新川保茂+山崎幹夫『The Musical Box』1980年/25分
内村茂太『猿!ゴリラ!チンパンジー!』1995年/16分
山田勇男『追分』1991年/20分

解説文=表現行為なんていうコトバじたいがどこか恥ずかしさ(痛さ)をはらんでいる。しかしそうした恥ずかしさ(痛さ)成分のない作品には、おいしさ(面白さ)も薄いような気もする。この3作品はそれぞれの作者にとって、とても「恥ずかしい」成分が多いため、これまで上映される機会の少なかった作品だ。どこがどう恥ずかしいかは、当日に作者にたっぷり語ってもらい、そのさまを楽しんでもらうことにいたしましょう。

巻頭言=8ミリフィルムの誕生によって、映画は撮影所だけで製造されるものではなくなった。50年代から60年代には吉田順彦のように地方都市在住で、映画づくりを趣味とする人を多数生み出し、70年代から80年代には中学生や高校生が放課後や夏休みを利用して映画をつくった。そして他人に見せる映画だけでなく、それまで写真でしか記録されなかった日常が、動画で記録されるようになった。こんかいのプログラムは、そのように8ミリフィルムが果たしてきた役割りと、いまもなお映像表現のメディアとして現役で使われている役割りが、おおざっぱながら見渡せるものになった。上映のあとにはオフ会よろしく、飲み食い&交流もできます。ぜひこの機会に8ミリとその上映会という場を体験ください。