山崎幹夫の各種センサー

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自分の映画歴語りその10/『猫夜』


『猫夜(ねこよる)』は『極星』の続編にあたる長編映画だが、物語映画ではないので何かお話が連続しているわけではなく、それぞれ独立して見てもだいじょうぶ。
『猫夜』を見たことのある人なら承知のことだが、『極星』を公開するちょっと前から撮り始めている。だから、1987年のはじめあたりからスタートしている。
物語映画をつくろうとスタートし、途中で挫折して日記的な個人映画として終わった『極星』の続きだから、当然ながら日記映画として始まる。ちょっとちがうのは『極星』では「彼女」としか呼ばれていなかった寺本恵子さんに「カーコ」という名が与えられていること。
日常生活では、おなじ1959年生まれで、大学では1学年上だった彼女のことは「恵子さん」と呼んでいた。「カーコ」というのは、彼女の生まれ故郷・富山の友人が東京に遊びにきて一緒に飲んだときに、かつてそんなニックネームで呼んでいたというのを聞いて採用させてもらったのだった。
そのエピソードでもわかるように、日記映画スタイルで始めた作品ではあったけれど、バカ正直に事実を見せようとは思っていなかった。日記ではないし、報道でもない、映画をつくろうとしているのだ。
個人の想像力には限界がある。そして個人の見ている範囲、動き回れる範囲には限界がある。そこをなんとかして突破できないかと考えて、主要登場人物であるリョウとカーコにカメラを渡し、彼らにそれぞれの「個人映像」を撮ってもらうことにした。
完成した映画『猫夜』のランニングタイムは80分だから、そうとは感じないだろうけれど、じつはこの方法、とってもバブリーな発想だったと今は思う。まさに1987年から1990年あたり、バブル経済真っ盛りだったものだから、「えいっ、いくらでも8ミリフィルムを消費しやがれっ」という気分になっていたのだろう。
リョウやカーコが撮ってきた8ミリフィルムを受け取り、その現像が上がるとヴューワーで確認してみる。そのほとんどは使えない。だから、そのまま巻き戻しもせずに「燃えないゴミ」として捨てたのだった。
ではどんなものを撮ってきたら「OK」と思ったのか。
それは、もちろん、見た目おもしろく撮れたショットではない。きれいなものが撮れているショットでもない。そういうものは作品のなかの癌細胞のようなものだから排除しなくてはいけない。
ことばで説明するのがむずかしいけれど、こういうことが言えるだろう。
カメラを渡した自分の意図を超え、カメラを持って回しているリョウやカーコのその場の意図さえも超えるような瞬間が記録されているもの。それをつかまえ、見せることが目的だったと。
個人映画の多くは「作家じしんのアイデンティティの追求」が目的だと言われる。自分にカメラを向ける。父親や母親、おじいちゃんやおばあちゃんにカメラを向ける作品をいったいいくつ見て来たことだろう。
そして、そういった作品をけなすときの言い方として「なんだ不幸自慢しやがって」というフレーズがある。自分の不幸体験を起点として、自己を掘り下げ、自己をリニューアルしていこうとすることにケチをつける気持ちはない。
けれども、いつも「で、その先に何があるの?」と思ってしまうことも確かだ。
その先には何があるのだろう。
『猫夜』では、リョウはカメラをヤマザキに返して、夕陽のなかを去っていく。
カーコは、カメラを息子のカズに渡し、カズは木陰に座って自分を微笑んで見ているカーコを撮る。
で、ヤマザキは?
ヤマザキは作者なのでカメラを放棄できない宿命にある。旅して回ったカメラとフィルムを回収し、ヤマザキは次回作へと向わなくてはならない。