山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

お互いを「監督」と呼び合うのはキモイ

先日おこなわれたある上映イベントにて、私よりも長いこと8ミリを使って作品をつくってきたHさんが、ふと私の方を見てこう言った。
「私なんか古いのかもしれませんが、監督と呼び合うことに違和感を覚えますよねぇ」
そこで私は
「監督という呼び名の価値が暴落している、と言ってもいいかもしれませんね」
と答えた。
定義なんかどうでもいいことだし、ジジイの繰り言めいているからあまり言いたくないことだけれど、
「そういうのってキモイと思います」
あ、言っちゃった。
「監督」という呼称は、撮影現場のみで通用するもので、その他の場所では使うべきではないと思っているんスよね。学校教師とか弁護士、政治家とはちがうのよ。
商業映画の場であればともかく、商業映画とは言い難い場であるのに、撮影現場以外で相手のことを「◯◯監督」と呼んでいるのはヌルヌルしたなれ合い世界の雰囲気を醸し出す。それがキモイとの感じかたにつながっている。
商業映画でない映画のことが「自主(製作)映画」と呼ばれていた時代にはそういうことはなかったように思う。おそらく「インディーズ映画」とか呼ばれるようになってからの現象だろう。
あ、そうそう。ふと思い出してしまったけれど、プロスポーツ選手が「応援よろしくお願いしまーす」とか安易に言うようになったのと同じ時期、同じ心のしくみなのかもしれない。
私は映画をつくるうえで「映画ごっこ」の気持ちは大切に保持していくべきだと繰り返し書いてきた(『映画を楽しくつくる本』ワイズ出版のあちこち)。しかしより多くの人に喜んでもらう映画をつくるためには、なれ合いは極力排除していかなくてはならないと思っている。
撮影現場以外の場所では、おたがいは「◯◯さん」と呼び合うことにしませんか。それがきれいでさっぱりだよ。