「フィルム表現の存続を求める会」設立へ
お待たせしました。発起人の間でもまだ進め方についての認識のすりあわせができていない状態ではあるけれど、最速でここまで到達できたとは思う。シングル8のみに特化せず、フィルム表現という幅の広さをもたせたことは、できれば今後危機に見舞われるであろうと予想される16mmフィルムまでカバーしようという気持ち。
設立の趣意書は以下のとおり。
本年4月25日、富士写真フィルム株式会社は突然、シングル8フィルムの終了を発表しました。フィルムの出荷は2007年3月まで、現像サービスは2008年9月までという内容です(http://fujifilm.jp/information/20060425/index.html)。
しかし、同年1月19日、富士写真フィルム株式会社は「弊社の写真事業への取組みについて」と題された声明で(注1)「人間の喜びも悲しみも愛も感動も全てを表現する写真は、人間にとって無くてはならないものであり~銀塩写真を中心とした感材写真事業を継続し、更なる写真文化の発展を目指す~」と述べています。
シングル8フィルムは富士写真フィルム株式会社(以下、フジフィルムと書きます)が開発したフォーマットで、専用のフィルムを使っているために、フジフィルムが製造を中止すると、それでシングル8の歴史は終了してしまいます(注2)。
ユーザーが製造コストに見合わなくなるほど減少してしまったとしたら、そのフォーマットの製造を中止することはしかたのないことかもしれません。しかし、もっぱらシングル8フィルムで撮影し、映像作品を現在もつくっている作家も多数存在しま
す。例えば、山田勇男、万城目純、関根博之、山崎幹夫、石井秀人らのシングル8作品は、海外の映画祭に出品され、また国内の美術館に収蔵されたりしています。そして彼らは現在もシングル8による製作活動を続けています。
また、70年代、80年代にシングル8で映画を作りはじめた若い作家たちの中から、現在の日本の劇場用映画の監督として活躍している人たちが数多く存在します。
映像教育の現場でもシングル8フィルムは使われています。武蔵野美術大学、東京造形大学、早稲田大学第二文学部、早稲田芸術学校、阿佐ヶ谷美術専門学校などでは、2005年度におこなわれた授業内でシングル8フィルムが使用されたことが確認されています。
人間の喜びも悲しみも愛も感動も全てを表現する映画(映像)作品は、人間にとってなくてはならないものだと言えるでしょう。シングル8によってそんな作品が生まれてきたことをフジフィルムはご存知ないかもしれませんが、シングル8で作品をつ
くる人々が現在でも数多くいること、そして映像教育の現場ではシングル8が使われていることを考えれば、あっさりと切り捨てるわけにはいかない「文化」であることがわかってもらえるかと思います。
いま問われているのは、映像文化を電子的文化だけにするか、電子的文化とフィルム文化の共存する文化として存続させるかということです。では、フィルム文化はなぜ重要なのでしょうか。8ミリはレトロだから、懐かしいから、かわいいから重要な
のでしょうか。違います。
フィルムはビデオと比較すると人間がものを見る構造にはるかに近いメディアです。比喩的にいえば、われわれは眼球の中の網膜というスクリーンに映った映画を見ています。網膜に映っているのは一枚の絵です。映画の最小単位は一齣つまり一枚の絵(写真)です。ところがビデオを最小単位に還元すると光の点になってしまいます。ビデオのワンフレームの絵は高速で移動する光点の残像によって描かれます。この違いは決定的です。つまりビデオやコンピュータはより情報に近く、フィルムは絵画に近いのです。フィルムは人間が物を見ることに直結した、映像文化の存在論的な根拠といってもよいで
しょう。
8ミリはこのようなフィルム文化の入り口に立ち、若者たちが、個人が、わずかな投資でフィルムという豊穣な世界で創造することを可能にしてくれるメディアです。8ミリを失ったとき、映像文化は知らず知らずのうちに貧しいものとなっていくことでしょう。
「シングル8の製造、現像を今後も続けていってもらいたい。事業として赤字であるなら、赤字にならないような方策をユーザーと一緒に考えませんか!」
私たちはこのことをフジフィルムに提案したいと思います。しかし数名の小さな声では門前払いを食らわされるだけでしょう。企業として、無視できないような多くの個人や集団の共通の意思としてまとまった時、ようやくこちらの声に耳をかたむけてくれるのではないかと思います。
趣旨に賛同していただいて呼びかけに協力してくださる「賛同人」のひとりになっていただければ幸いです。
2006年5月20日
「フィルム表現の存続を求める会」
発起人:大久保賢一(映画評論家)、山崎幹夫(映画作家)、黒川芳朱(映像作家)
水由章(ミストラルジャパン)、片山薫(ミストラルジャパン)
太田曜(実験映画作家)、万城目純(映像作家)
連絡先:ミストラルジャパン 〒184-0013 東京都小金井市前原町5-16-6
TEL:042-380-8270/FAX:042-380-8271 info@mistral-japan.co.jp
というわけで「賛同人」を募ろうと思います。私の個人的な考えでは、直接の被害者になるシングル8ユーザーと、シングル8を授業に使っている映像教育関係者にはぜひ参加してほしいと思ってます。こちらから要請メールを出すことは数人ぐらいにとどめるので、上記の趣旨に賛同して、賛同者として名を連ねてもいいという人は上記のミストラルジャパンあてか、あるいは「ムエン通信」の最初のページ下にあるメールアドレスあてにメールください。名前といっしょに「肩書き」も知らせてください。作家でない、趣味的に8ミリを愛好しているユーザーだと「肩書き」をどうしたらいいか難しいところですが、そこらへんは常識的にはったりをかましてもらえればいいかと。集約は今月末にしますので、とりあえずは30日までに連絡いただければ幸いっス。
設立の趣意書は以下のとおり。
本年4月25日、富士写真フィルム株式会社は突然、シングル8フィルムの終了を発表しました。フィルムの出荷は2007年3月まで、現像サービスは2008年9月までという内容です(http://fujifilm.jp/information/20060425/index.html)。
しかし、同年1月19日、富士写真フィルム株式会社は「弊社の写真事業への取組みについて」と題された声明で(注1)「人間の喜びも悲しみも愛も感動も全てを表現する写真は、人間にとって無くてはならないものであり~銀塩写真を中心とした感材写真事業を継続し、更なる写真文化の発展を目指す~」と述べています。
シングル8フィルムは富士写真フィルム株式会社(以下、フジフィルムと書きます)が開発したフォーマットで、専用のフィルムを使っているために、フジフィルムが製造を中止すると、それでシングル8の歴史は終了してしまいます(注2)。
ユーザーが製造コストに見合わなくなるほど減少してしまったとしたら、そのフォーマットの製造を中止することはしかたのないことかもしれません。しかし、もっぱらシングル8フィルムで撮影し、映像作品を現在もつくっている作家も多数存在しま
す。例えば、山田勇男、万城目純、関根博之、山崎幹夫、石井秀人らのシングル8作品は、海外の映画祭に出品され、また国内の美術館に収蔵されたりしています。そして彼らは現在もシングル8による製作活動を続けています。
また、70年代、80年代にシングル8で映画を作りはじめた若い作家たちの中から、現在の日本の劇場用映画の監督として活躍している人たちが数多く存在します。
映像教育の現場でもシングル8フィルムは使われています。武蔵野美術大学、東京造形大学、早稲田大学第二文学部、早稲田芸術学校、阿佐ヶ谷美術専門学校などでは、2005年度におこなわれた授業内でシングル8フィルムが使用されたことが確認されています。
人間の喜びも悲しみも愛も感動も全てを表現する映画(映像)作品は、人間にとってなくてはならないものだと言えるでしょう。シングル8によってそんな作品が生まれてきたことをフジフィルムはご存知ないかもしれませんが、シングル8で作品をつ
くる人々が現在でも数多くいること、そして映像教育の現場ではシングル8が使われていることを考えれば、あっさりと切り捨てるわけにはいかない「文化」であることがわかってもらえるかと思います。
いま問われているのは、映像文化を電子的文化だけにするか、電子的文化とフィルム文化の共存する文化として存続させるかということです。では、フィルム文化はなぜ重要なのでしょうか。8ミリはレトロだから、懐かしいから、かわいいから重要な
のでしょうか。違います。
フィルムはビデオと比較すると人間がものを見る構造にはるかに近いメディアです。比喩的にいえば、われわれは眼球の中の網膜というスクリーンに映った映画を見ています。網膜に映っているのは一枚の絵です。映画の最小単位は一齣つまり一枚の絵(写真)です。ところがビデオを最小単位に還元すると光の点になってしまいます。ビデオのワンフレームの絵は高速で移動する光点の残像によって描かれます。この違いは決定的です。つまりビデオやコンピュータはより情報に近く、フィルムは絵画に近いのです。フィルムは人間が物を見ることに直結した、映像文化の存在論的な根拠といってもよいで
しょう。
8ミリはこのようなフィルム文化の入り口に立ち、若者たちが、個人が、わずかな投資でフィルムという豊穣な世界で創造することを可能にしてくれるメディアです。8ミリを失ったとき、映像文化は知らず知らずのうちに貧しいものとなっていくことでしょう。
「シングル8の製造、現像を今後も続けていってもらいたい。事業として赤字であるなら、赤字にならないような方策をユーザーと一緒に考えませんか!」
私たちはこのことをフジフィルムに提案したいと思います。しかし数名の小さな声では門前払いを食らわされるだけでしょう。企業として、無視できないような多くの個人や集団の共通の意思としてまとまった時、ようやくこちらの声に耳をかたむけてくれるのではないかと思います。
趣旨に賛同していただいて呼びかけに協力してくださる「賛同人」のひとりになっていただければ幸いです。
2006年5月20日
「フィルム表現の存続を求める会」
発起人:大久保賢一(映画評論家)、山崎幹夫(映画作家)、黒川芳朱(映像作家)
水由章(ミストラルジャパン)、片山薫(ミストラルジャパン)
太田曜(実験映画作家)、万城目純(映像作家)
連絡先:ミストラルジャパン 〒184-0013 東京都小金井市前原町5-16-6
TEL:042-380-8270/FAX:042-380-8271 info@mistral-japan.co.jp
というわけで「賛同人」を募ろうと思います。私の個人的な考えでは、直接の被害者になるシングル8ユーザーと、シングル8を授業に使っている映像教育関係者にはぜひ参加してほしいと思ってます。こちらから要請メールを出すことは数人ぐらいにとどめるので、上記の趣旨に賛同して、賛同者として名を連ねてもいいという人は上記のミストラルジャパンあてか、あるいは「ムエン通信」の最初のページ下にあるメールアドレスあてにメールください。名前といっしょに「肩書き」も知らせてください。作家でない、趣味的に8ミリを愛好しているユーザーだと「肩書き」をどうしたらいいか難しいところですが、そこらへんは常識的にはったりをかましてもらえればいいかと。集約は今月末にしますので、とりあえずは30日までに連絡いただければ幸いっス。