山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

「顔があればいいのよ~」

編集作業をおこなっている某作品(ってバレバレだけど一応)のなかで、アドリブで「顔があればいいのよ~」というフレーム外からの声が入っている箇所がある。
前々からこのコトバは映画の魔術の芯を突いていると感じていた。そう、顔があればいいんだ。小細工は必要ない。先日の『SPA!』での福田和也氏のコメントも、映画の出来不出来にかかわらず時代をとらえてしまう映画のおそろしさ(特質)に対する反応だろう。顔さえあればいい。顔にライフスタイルは反映する。そこに時代が刻まれているのだろう。
しかしそこに選択のセンスは介在する。醜悪な顔を根本敬のように「いい顔」と表現してみる態度もあれば、山田勇男のように「フェリーニの映画に出て来そうな顔」と表現することもできるだろう。