山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

『猫夜』を思い出す4


もう明日は映写機の搬入ではないか。
しゃべることとかも考えないと。とか悩みながら、パーティーに出すためにサモサをつくることにする。サモサってのは、インドの揚げ餃子のこと。もちろんカレー味でじゃがいもが入ってたりするのが一般的かな。
さて『猫夜』のよもやま話、パート4にいきましょう。
私、カーコ、リョウがそれぞれきままに撮ってくるフィルムが蓄積していく。そんなフィルムのなかで、まずはカーコだったか私だったか忘れたけれど、「お、これで決着したな」という映像があらわれた。
まずカーコ。小学生になったカズと近所の植物がたくさんある場所に行って8ミリカメラを回している。カズはテレビの変身ヒーローものの真似をして、それを撮ってもらっているのだが、カーコは飽きてきてカメラをパンして空を撮る。するとフレーム外から「今度、ぼくが撮る」とカズの声。カット変わってカズの撮影するカーコの映像。木陰に座って微笑んでいる。
このカットが出てきた時、「あ、これラストカットにしよう」と思った。永遠なんて簡単に言ってしまうけれど、そんなふうなものに結びついている映像だ。これはシメになる。カーコはいつか死ぬし、同じようにカズもいつか死ぬ。もちろん私も死ぬし、リョウはじっさい死んでしまった。8ミリも死に瀕しているようだ。いつかは地球上のすべての8ミリ映写機が動かなくなるだろう。それどころか映画というメディアさえも死ぬかもしれない。しかし、そうであっても、あの木陰の微笑みだけは頼りなく、いつまでも風に吹かれているような感じがするじゃないか。
さて、次に私のパート。ある時の宴会で、捨て猫を拾ってきた女がいた。しかたなく子猫にミルクをやって育てるハメになる私。無心にミルクを飲む猫を撮り、はじめて庭に出してやるさまを撮った。子猫はおぼつかない足取りで、おそるおそる植物を踏みしめて歩き出す。それはきわめて小さい世界の広がりだけれど、おそらく私のインド・ネパールの旅とおなじだけの広がりなのだろう。この映像で私のパートはシメにできる。
さあ、困ったのはリョウだ。(明日に続く)