『猫夜』を思い出す2
他人にカメラを託して、監督が現場にいられない世界を撮ってきてもらう。それは劇映画やドキュメンタリー作品のなかでは特に珍しいことではないけれど、個人映画のなかに持ち込んだとき、これは個人を越えた世界を探査することができる方法論かもしれない。そう思ったのだった。
ひとりの人間の認知する世界は揺るぎない確実で不変なものではない。しかしそのことは「置いといて」という前提で映画をつくる。そうしないとやたらとアイマイモコになってしまって、映画が映画として凝固していかない。つまり、豆腐は凝固するからうまいと感じるのであって「無調整豆乳」は豆臭くてうまいと感じないのと同じこと。その程度のことであれば、多少の添加物は投入しても、うまいと多くの人に感じてもらいたい。私はそう思う。どれかが正しいわけではない。
さて、きのう書いたように、きっかけは自分の作品『りりくじゅんび』や映像ワークショップと称した作品群だった。しかしそれがきっかけであると正直に言ってしまっては作品として冗長になる。そこで、ちょいとズラして、セルという人間が、会社をやめて旅に出る。旅先から8ミリフィルムを送ってくれる。現像してみると北アフリカの光景が撮られている。しかし、セルはそのまま日本に帰ってこなかった。そのフィルムの異様な力に触発されて、リョウとカーコにカメラを渡した、というふうにした。
嘘ではない。少しズラして純度を高め、より直接的につたわるように加工しただけだ。じっさいにセルこと杉浦くんは会社をやめて海外放浪に出かけた。もともとオカルト好きな杉浦くんなので、ピラミッドを見に行ったわけだろう。そうして北アフリカを旅して、『セル、眠っちゃだめだ』(10月にラ・カメラで上映します)のように、いくつかの手紙を私によこしてくれた。
杉浦くんはじっさいには帰国している。フィルムは帰国して受け取った。しかし、帰国していないと言う『猫夜』が嘘をついたとは思ってない。杉浦くんはその後、できたばかりのオウム真理教に入信して、のちに言うところのホーリーネーム「ヴァンギーサ」を名乗ることになる。「これからはヴァンギーサって呼んでくれよ」と確かに言われた覚えがある。だから本人が認めるところの杉浦茂は、あの旅のどこかで遺棄されたのだろう。「帰ってこなかった」とする『猫夜』の最後のナレーションは間違いではない。
(添付画像は、昨日はカーコにカメラを渡したシーンだったので、今日はリョウにカメラを渡したシーンより)