山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

『猫夜』を思い出す1


まるで映画がひとりでに自己増殖するかのような映画をつくりたかった。
『極星』の被写体である神岡猟(リョウ)と寺本恵子(カーコ)にカメラを渡して、それぞれの日常的な映像を撮って来てもらう。それを交互につないで構成する。それだけ。じつにシンプルなコンセプトの映画だ。
しかしいつ作品が完成するのか、その判断がきわめて困難だ。そして決して安価でないフィルムをいったいどのくらい無駄遣いされることか。
こうした「思いつき」のきっかけは2つあった。
1つめ。その当時、学童クラブというところでバイトすることになり、おもしろがって子どもたちを8ミリで撮っていると、子どもたちの方がカメラに興味を持って寄ってくる。そこで「1人30秒な」って感じでカメラを回させてみた。フィルムが現像され、見てみると、そこには異様な世界が映っていた。小学校1年から3年ぐらいまでの目の高さでぐらぐら揺れながら移動する映像は、なぜかひどく新鮮だったのだ。ここから、他人にカメラを渡すことのおもしろさについて考えることになる。
2つめ。ある酒飲みの席で「撮影時間よりも上映時間の方が長い映画は可能か」というお題が出たことがあった。可能だ。できるだけカメラを集め、いっせのせでカメラを回し、それをただつないで「作品です」とすればいい。そうすれば撮影時間は3分。集まった人数だけ倍になった上映時間の映画ができあがる。そうして17人を集めて決行したのが『なまら』という作品。しかしこれではあまりにもコンセプトが単純すぎるとの思いがあって、『がむぜ』というコンセプトを考えた。これは同じ道を時間をずらして歩いて、そのなかで3分のフィルムを回すというもの。時間は違えども、同じ日に同じ道を歩いて、スケッチ的に映像を撮ってもらう。それを並べて映写してみると、たしかに何カ所かは同じものを撮っていて、同じ道を歩いたということはわかるのだが、それ以外については「え、こんなものどこにあったの?」と参加者どうしで愕然とするほど、目に入るものはちがうということを気づかせてくれる。
ならば『極星』の3人がそれぞれカメラを持って撮影することで、どこかにちんまりまとまらない、どこまでも拡散していく世界の広がりを感じさせるような映画がつくれるのではないかと思ったのだ。