山崎幹夫の各種センサー

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『極星』を思い出す2


『極星』の冒頭20分ぐらいは、神岡猟を主役として、シナリオなしに撮り始めた映画が行き詰まってしまうさまを描いている。「描いている」というと劇映画のストーリーみたいだけれど、じっさいにまとまることなくいつの間にか撮りすすめることができなくなってしまったのだ。
そもそも、きっかけは長崎俊一さんの『シナリオ 山口百恵背信』だ。これは8ミリ30分の映画で、ワタシはカメラマンとして参加している。ちなみに助監督は諏訪敦彦佐々木浩久。出演しているのは内藤剛志、伊藤幸子、室井滋諏訪太朗。これはとても不思議な映画だ。実験的な劇映画と言ってもいいだろう。フツーの劇映画として計画されている映画のいくつかのシーンを、出演予定の役者さんに演じてもらう、という大枠の設定がある。つまり練習として始まる。だから監督がカットして役者が素に戻る部分も入っているし、同じカットのテイクが繰り返される部分もある。フィクションを目指しつつ、そこにノンフィクションが混入してくることで、フィクションでもノンフィクションでもない領域にある映画なのだ。
しかしテーマは単純で「劇映画におけるOKショットって何なのだろう」という長崎監督の、じつにまじめな疑問から端を発している。
じつはこの映画、情報誌で見つけて「お、長崎さんが新作8ミリか、見にいこう」とチェックマークしたところ、電話がかかってきて「じつはこれから撮るのだ。それでカメラをやってくれ」と言われたものなのだ。
『シナリオ 山口百恵背信』が完成し、ワタシは課題を突きつけられた気分になった。これをきちんと課題として受け止め、自分なりに消化したものをつくらなくてはいけない、と思ったのだ。しかしどこから手をつけていいのかわからない。そこで銀河画報社のようなスタイルで、週に一度だけ撮影して、わりと行き当たりばったりで映像を撮りためていくことにした。
何かが撮るべきものがあって、それをテキパキ消化していくスタイルではない。ある程度デタラメでいい。しかしメチャクチャでない。デタラメを飼いならして、作品のなかに放つような感じと言えばいいのか、ま、自動筆記的なものです。でもちょっとはキャリアがあるし、24時間、映画のことばかり考えていたりするので、いずれどうにか打開していくだろうという根拠のない思いはあった。(ぜんぜん進まないじゃん!、ま、いいか、23日にまでにきれいにまとめて興行をあおるとかいうことでなくても。とか言ってたら急に電話がきてまた自主映画に明日出ることに)