今日はホームムービーデイ
上野と根津の間、東京芸大の裏にある市田邸という明治に建てられた家が会場。
これが10人ぐらいだったらちょうどいいのだけれど、50人ぐらい詰めかけてしまってぎっしりすし詰め状態。ほとんどは地元の人のようだ。『僕の新婚旅行』の内村茂太氏も参加。映写は鉄道映像をたくさん撮ってきた人が担当していたが、さほど映写トラブルの現場はくぐってないようなので、私がさささっと補助すること数回。差し出がましくて失礼しました。
ホームムービーを持ち寄ってみんなで見ようというのは、かなり変態的な趣旨の上映会だと思うのだが、その変態性にはみなさん気づかずに参加していたようにも思う。ま、それはいい。気づいている人だけの濃厚な集いはキモい。
かつて国分寺の百町森というところで「他人のホームムービーを見る」というプログラムをした時は、すべて末岡一郎が所有するホームムービーを上映した。「他人性の確立」はキープしたかったのだ。関係者が持って来たフィルムだと、ありきたりの説明を施すことになってしまう。これは変態性を緩和してしまう。その場にいる誰とも関連のなり映像を見ることが、いままでの映画では実現できない映画的快楽の実践なのだから。で、そのための道具立てとして、国分寺での上映では、たまたまそこにあった丸いレトロなちゃぶ台を上映後に真ん中に出して、そこにビールや乾きものを置いて、なんとも「誰かのうちに遊びにいって、ちょっとビールなんか飲んでる」雰囲気をつくってみた。これは心の底がキュルキュル音をたてるほどいいものだった。
さて、その「いいものだった」という変態的感性から今回のイベントを見るともの足りないのはあたりまえだ。たとえば結婚式の記録8ミリを持ち込んだ人がいたが、これが30分ぐらいあるしろもので、しかも解説がほとんどなく、じつに退屈で苦痛な時間であった。ここはサービス精神を発揮してもらって、その夫婦が今も円満に暮らしているとしても「このあと5年で離婚してしまいましてねー。それはどうしてかというと」とかいうフィクションで楽しませて欲しかった。
しかしながらここに、ただのホームムービーがエンタテインメントとなりうる、メカスさん(果たして10月に来日してくれるだろうか)やその他の作家もなし得なかった(小川プロならやったかも)映画が誕生する「萌芽」があるぞ。