山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

背徳映画祭スタート


17日よりスタート。さっそく出向いてABプロを鑑賞。伊藤隆介『パタ、パタ』が心にしみてくる。しかし「意味不明」と言われていた。心のレンズが砕けていないとしみてこないのだろうか?
カメラの主観映像で夕方の、郊外っぽい巨大スーパーの前を歩いている。夕方はいつも不穏なものだが、最初は右翼の街宣かと思ったようなガサツな声の選挙演説がその不穏さを助長する。巨大スーパーに入っていく。階段をのぼって2階、3階、屋上への出口付近の窓から下の町を見下ろす。ふと、窓ガラスの下のハエやトンボの死骸に目をやる。死骸は黒ずんで、ねじくれている。小さな悲劇。
P・K・ディックの『流れよ我が涙、と警官は言った』だったか『銀河の壺直し』だったか、家の食器棚のコップの中にクモが巣を張っていたという話が出てくる。そんなところで巣を張っても獲物がくるわけないのに、クモは巣を張って、じっとじっと待ち続けて、そして餓死した。小さな悲劇。
インド神話にこんな話がある。ヴィシュヌ神の魔力を学びにある女がやってきた。ヴィシュヌは女を水を汲みに行かせた。ところが女は水汲みの途中、出会った男に一目惚れしてしまい、子どもを3人ももうける。やがてある年、大洪水が起こって、夫と子どもたちは洪水に飲まれてしまった。打ちひしがれて嘆き悲しんでいるところに(おそらはのんびりした声で)ヴィシュヌ神の「お~い、水はまだか」という声が聞こえた。
この話を教えてくれたのは、一昨日だったか逮捕されたオウム真理教のヴァンギーサ(杉浦茂)だ。私は「なるほどな」と思った。輪廻転生の概念が救いになるとは個人的には思わないが、山も滅びる海も滅びるという時間感覚は有用な気がする。そんなことを考えながら10年も煮詰まっていた『無翼の朝と夜』という作品がつくり出せたのだ。