山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

冷えた弁当でエマーソン北村を思い出す

先日の『バオバブのけじめ』の何日目か、段取りが悪くて冷えきった弁当を口にしたことがあった。その時、ふと「弁当を買いに出たまま、しばらく帰ってこなくて、逃げたかと思った頃、冷えきった弁当を持って『道に迷いました』と現れたやつがいたなぁ」と思い出したのだった。
その、方向音痴の助監督は北村くんと言って、なんとミュージシャンになってしまった。ま、動向は知っていたけれど、あらためて検索するとファンサイトがあった。これです。
http://www.ne.jp/asahi/gomez/nakajo/emerson/
で、そのなかのプロフィールの最初に「札幌でパラフレーズというバンドをしていた」とか書いてあるけれど、その頃、パラフレーズのリーダー、宮沢春之(のちに渋サ知らズの創設にかかわる)に「キーボード入れたいけど誰か知らない?」と聞かれて「そういえば北村くんはキーボードできるらしい」と推薦したのだった。
さてその頃、私はもちろん映画をつくったり上映したりをしていたのだが、山本政志から「北海道でじゃがたらのライブができないか」との打診があった。なんでも自主製作でLPレコード(南蛮渡来)をつくったので、それを売りがてら、かつ、北海道産の薬草なんかも入手しつつライブツアーをやりたいらしいとのこと。そこで、かつて中島みゆきなんかと札幌フォークゲリラをやっていた前田さんに打診してみる。前田さんはスターリンを呼ぶつもりでいるので、じゃがたらはそちらでどうぞ、という回答だった。そこで何カ所かライブハウスをセットしつつお世話したのだった。
長くなったが、そのじゃがたらの札幌でのライブは駅裏8号倉庫というところに組み込んだ。ここは石造りの倉庫だったところで、そこを映画や演劇、音楽の人たちで共同で借りて管理していたのだ。なので、そこの舞台をつくるのは手伝っていて、あまり人が乗ると崩壊するということを知っていた。ところがじゃがたらの連中はノリノリの観客をどんどん舞台に乗せていってしまう。これはっ、と見ると縦置きしたモニタースピーカーがぐらぐら揺れているではないか。倒れると、人身事故になる可能性が強い。そこでそばにいた北村くんに「北村! あのスピーカーをささえるんだ!」と指令を飛ばす。あわてて走っていく北村くん。ノリノリの観客のなかで必死にスピーカーに抱きつき、支えていたのだった。
その北村くんが、それからしばらくして、じゃがたらのメンバーになってしまったのにはちょいと驚いた。因縁ってものを感じました。
北村くんに最初に会った時は、彼はまだ札幌南高校の高校生だった。その後、北海道大学に入学してきて、映画づくりを手伝ってもらうことになったわけだけれど、札幌南高校のちょっと後輩で、その頃、札幌で格好はパンクスなのに、やたらとアヴァンギャルドな音楽をやるやつがいた。それが勝井佑二なんだけれど、長くなるのでその話はまたいつか。