山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

廃墟には開放と解放と永遠性(らしきもの)があった

東京のいたるところに廃墟があった80年代。酔っぱらって東高円寺駅上にあった廃墟に侵入して遊んだ。それが『ロビンソンの庭』のきっかけだった。山本政志が「一緒に脚本を書こう」と私をさそったのは、その時、一緒にいたからに他ならない。
●廃墟には開放があった。
ごみごみと窮屈に家が建ち並び、さらにそのなかでも狭苦しい部屋に住んでいた当時の自主映画関係者やパンクスたちとつきあっていると、深夜に酔っぱらって入り込む廃墟は、まさに開放的に気分を高揚させてくれたっけ。
●廃墟には解放があった。
それにしても、それだけではない。なにかうっとり魅惑的な何かが廃墟にはある。アタマを使って理屈をこねてみると、それは「意味から解き放たれた場」であると定義して、納得してみたりして。世の中はどこを見回してみても、何らかの意味(何かの役に立つ)を持ったものばかりだ。そこで、まったく無用のもの街なかに発見して、それを称揚するという「トマソン物件」という「ものの見方」が提示されたのが1980年くらいですかね。その観点からすると、廃墟なんてものはまさに無用の長物。バブル経済へと突入しつつあった東京で、ヤクザがセコセコいやがらせをして小さな店舗をつぶして、まとまった土地をつくろうとしていた時代に、廃墟の「意味なしの広がり」は魅力的だったね。
●永遠性らしきもの。
これもバブル経済とかかわってくるけれど、けっこう急激に街の風景が変化していった時代に、どっしりと変わらずにいるかのように見えた廃墟は、それが幻想であっても、何かしらの「永遠性」を感じさせてくれた。

なんで急にそんなことを書いたかと言うと、授業の課題レポートを読んでいると(予想していたことではあるけれど)『ロビンソンの庭』について書いたものが多かったのだ。ひとつひとつ、ゆっくり読んでいる。
『ロビンソンの庭』の撮影からすでに20年たっているから、ちょうど学生さんの生まれた頃の東京の風景になるわけだ。私にとってみれば太陽族映画になるわけです。
「当時の東京にはこんなすてきな居場所があったのですね」と書いてあったレポートがあった。そうか、そうだったのかもしれない。いまの東京には廃墟はない。それぞれが公園になったり、建物になったりと、意味ある、有用な場へと変貌していってしまった。
廃墟がなくなってしまった東京で、いろんな人が、いろんなやりかたで廃墟の代替物を探していたし、いまもそうなのだと思った。
ところで、マメに出席しているのにレポート提出がない人が複数いるけれど、もしこのブログを読んでいるのだとしたら、今からでもいいからメール提出してね。