山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

東京オリンピックの思い出は「ミカンうまかった」


自分は現在54歳で、1964年の東京オリンピックのときは幼稚園児だった。
その日、自分が通っていた多摩みどり幼稚園の園庭を斜めに突っ切って歩いてくる人がいて、それが自分の母親であることに気づいてとても驚いた。
幼稚園を早退して、母とともに電車に乗り、何やら人がたくさんいる場所についた。
眼下のグランドでは何かの競技が行われていて、それが「サッカー」だと説明されたのだけれど、ルールは不明でとても退屈だったから、ぐずったような記憶がある。すると、後ろの席で観戦していた人が私にみかんをひとつくれた。
そのみかんがとてもウマかったということを鮮明に覚えている。
というわけで、自分にとっての東京オリンピックの記憶は「ミカンがうまかった」。
だいぶあとになって、母にどこの国とどこの国のサッカーの試合だったか尋ねてみたけれど、母もよく覚えていないようだった。
たまたまその試合のチケットを入手し「東京でオリンピックなんて、一生に一度あるかないかのことだろうから」という思いで幼い私を連れていったということらしい。

多摩みどり幼稚園は、西武新宿線に隣接しているので、電車からも園舎が見える。久米川駅と東村山駅のちょうど中間ぐらい、新宿から来たとすると進行方向の左に見える。
この幼稚園の卒園生から、ソウル(1988年)バルセロナ(1992年)アトランタ(1996年)の3大会オリンピックに出場する選手が出るとは思いも寄らなかったことだ。
もちろん、このカテゴリで書くわけなのでバレーボール選手です。
バレーボールを始めたのは中学生になってからのことらしいけれどね。
大林素子選手です。