『もう夜』ノベルその8/入間川の河辺で
以下は6月15,16,23日にラ・カメラ@下北沢で上映する新作短編映画『もうすぐ夜がやってくる』のノベライゼーションで、全部で10回の連載になる予定のものです。上映会のくわしい情報については、こちらの記事を参照ください。
ラブホを出て、いつものように入間川沿いにぶらぶら歩く。
さきほどラブホでペウレプにひねられた左手の指がまだジンジンと痛む。
もうしばらくすると日が沈む。けだるい午後の底の時間だ。
この時間がなぜか好きだ。エッチそのものよりも、ずっと心地よい。けだるく、どっぷりと夢の世界の入り口にそろりそろりと近づいていくような感触がある。
そしていつものベンチへ。
対岸にいつか置き去りにした女が夕闇迫るなかでこのベンチに座っていることを確かめたスーパーマーケットがあり、国道299号の橋のむこうには、あのマンションが見える。
あのマンション……。
いつだっけ。そうだ、とある女に「生きていたらきっと君ぐらいの女の子が誘拐されて、殺されたんだ」と説明したことがあったっけ。
誘拐の現場まで行って画像を撮るような人もいるようだけれど、自分はあまりにも痛々しくて近づくことさえできない。ただ、川のこちら側から眺めているだけだ。
もちろん、殺された幼女にも、殺したとされ、とっくに死刑になってしまった男にも何の面識もかかわりもない。けれども何か、自分のこころの底のほうから、わき出してくるものを感じるのだ。
何だろう、この激しい感情は。
ペウレプと歩いた夜に、色褪せた通学路標識を見つけて「なんか、ぐっとくるんだよね」と言った。それと、何か関係があるのだろうか。
自分の心のなかのことなのに、自分ではさっぱりわからない。意図的に意識の表面に出ないように押さえ込んでいる何かがあるのかもしれない。それは何だろう。途方もなく大きなトラウマなのか? それともじつはたいしたことのない、けれども消し難く刻印されてしまった幼少時の心の傷なのか?
ぬるい風が吹いている。
ペウレプは昼間からずっと黙りがちなままだ。
そろそろ日没の時間だ。空が茜色に染まり、あたりは急に暗くなってきていた。