山崎幹夫の各種センサー

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『もう夜』ノベルその2/夜の匂い


以下は6月15,16,23日にラ・カメラ@下北沢で上映する新作短編映画『もうすぐ夜がやってくる』のノベライゼーションで、全部で10回の連載になる予定のものです。上映会のくわしい情報については、こちらの記事を参照ください。

女に声をかけ、一緒に夜の街を散歩することになった。
どこの誰ともよく知らぬ女と、さしたる目的もなく夜の住宅街を歩くということは、不思議と心地いい感触だ。自分にとってはよくうろつき回っているこの何の変哲もない郊外の街だけれど、このよくわからないシチュエーションのなかで、まるで新しい、自分が知らない街のように見えてくるような感触もある。
こういうの、何て言うんだっけ。ああ、そうだジャメヴって言うのかな。デジャヴの反対ね。
そう思うと、自分が少し希薄になったような感じがしてきた。
自分の存在が軽く、薄くなって、このいま歩いている街の隙間にしみこんでいく、そんな感じがする。
不思議なことだ。よく知っているはずの街なのに、よく知っているというは単に自分の思い込みにすぎなかったわけだ。じつは、何度もこの街のこの道を行き来しているうちに、街と自分とのあいだには水と油のようなはっきりした境界線ができていたようだ。
繰り返しその場所に身を置くことで、じつはその場所とは距離ができていって、しっかりと認識できなくなっていくことを思い知らされたようだ。
駅前の商店街などで、ある日、ひとつの店舗が取り壊されて更地になっているのに気づく。けれども、以前そこにどんな店があったのか、なかなか思い出せないことがある。何度も行き来するうちに見えてこなくなり、認識できなくなっているわけだ。
女と散歩することで、鈍麻した感覚がふたたびリセットされていくような気がする。
何かの匂いがする。何の匂いだろう。もしかすると、いつもこの匂いはしていたのかもしれない。なのに自分はずっと認知できたなかったのか。それとも。
「 何かの強い匂いがする。何だろ。夜だけ、それも一晩っきりしか咲かない花があったね」
すると女はこんなことを言う。
「 子どもの頃に住んでいた町で、雨が降ると何かの匂いがするのね。いやな匂いじゃないくて、いい匂い。それで今でも雨が降ると、その匂いがしてくるような気がして、なんかそれだけで懐かしい感覚になるな。でも何の匂いなんだろ。その匂いのこと、誰もわかってくれなくて。なんかこう、胸が締め付けられるような感覚になる」
「 自分は幼稚園の前を通ると幼稚園の匂いを思い出してせつなくなつかしい気持ちになるけどね。なんの匂いかな、あれ。粘土とかクレヨンの匂いかな」
「 牛乳をわかすときの匂いとか」
「 ああ、わかるわかる。小学校だと靴箱の匂いだとか、校庭の砂場の匂いだとか、ね」