山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

『もう夜』ノベルその1/ドッペル君の前触れ


郊外の駅に向うバスに乗った。後部の空席に腰を下ろし、荷物をがさごそ膝上に納めたりして、それから窓の外をながめたりして、そうして、気がついた。映画のシナリオ的に書けば「!」という感じだ。
ルカニが座った前の席に、男が座っている。
後頭部しか見えないので、自分からは、男の髪型、耳のかたち、肌の色、着ているシャツぐらいしかわからない。
しかしその男の、後ろからの見た目は、驚くほど、数年前に死んだ知人に似ていた。肌の色もそうだし、服のセンス、後ろから見える範囲でのひげの生やしかたまでそっくりだった。
知人の死因は、首吊り自殺だった。
駅にバスが到着し、ルカニはバスを降りた。なぜかは知らないが、その男はまだ座席に座っている。
すこしためらう気持ちはあったけれど、ルカニはバスを降りてから振り返ってみた。
ふん。確かに顔つきまで似てやがる。しかし、自殺した知人とは目つきがちがった。なぜかほっとする。この、バスの前の席の男には狂気のようなものを抱えてはいなさそうだ。きっと生き急ぐということはないだろう。
それが、前触れその1だ。
その2は、女からのメールだった。女といってもほぼ同じ世代だから、とっくに結婚していて子どももいる女。
メールには用件のほかに、こんな文言があった。
「どうかうっかり死んだりしないでくださいね。そんなことしたら、私はものすごく悲しいです。立ち直れないかもしれません」
余計なお世話だ。
うっかりと死んでしまおうかなんてこと、毎日のように思いついているのだし、しかし
うっかり死んでしまいそうにない執着もいくつも持ち合わせている。あんたの都合には従わない。腹立たしい。
なにより、そういう「女の直感」みたいなものをなすりつけてきたことが不快だった。
その1とその2、ふたつのちいさな出来事があり、夜の帰り道で、また別の死んだ友人のことを思い出してしまった。
いけない、ふさぎ込んでしまうパターンにずるずるとはまっているような気がする。
気持ちを切り替えるために、駅の改札付近で、さも人を待っているような顔をしてしばらく立っていた。
その時、気づいた。改札からちょっと離れた場所で、女がひとり、ハガキのようなものを手にして立っていることを。
近づいてみる。
ハガキ大の紙にはこう書かれていた。
「夜の散歩を楽しむコミュ オフ会」