山崎幹夫の各種センサー

8mmfilmの情報を提供&映像制作ノートとして始まったが、8mmfilmの死去で路上観察ブログになり、現在はイベント告知のみ

『虚港』を思い出す3


ミッキーとミニーの物語をバックグラウンドに響かせることは最初の最初に決まっていた。そもそも『ロビンソンの庭』の脚本のなかで、あの廃墟に出入りしている少年少女たちがミッキーとミニーの人形を埋葬する「葬式ごっこ」をしているシーンを書いて、プロデューサーに「バカなこと書かないでちょうだいっ」と言われて速攻削除されたことがあったのだ。山本政志と私はそれでも何かを埋葬するということにこだわってあれこれ考えたのだが、やっぱミッキーとミニーに比肩できるものがなく、あきらめたのだ。
それでなんとか復讐の機会を狙っていた。そもそも自主製作映画だし、テレビ放送もレンタルビデオや販売も考えていなかったから、まったく平気だ。アングラ映画のなかにはミッキーとミニーが性交するアニメ映画なんてものあるけれど、私の場合はキャラを愚弄するつもりはない。まさにハリウッド映画の代表選手として出て来てもらいたかったのだ。
映画の世界地図を描けば、それはハリウッドとボンベイがさまざまな意味で対称を描くふたつの大都市になる。
唐突にインドミュージカルになって映画が明るく破綻するわけだけれど、その後、そんなことは知らないようにして、ミニーは「虹の向うに新しい物語がある」と言う。ミッキーは「ほんまかいな」とちょっと疑ってみせる。これが私が考えるところのアメリカだ。
地平線にひとつ星がきらめき、パンアップすると満天の星。そこにクレジット。流れてくる唄は湊谷夢吉さん作詞作曲の『ソッピース・キャメル』。それを私が下手なギターと音程定まらぬ声でがなるので、わかりずらいけれど、これ、戦争の悲惨とロマンの唄です。
そもそもの最初の方で「テロよりエロかな」などと言っているように、この映画、必要以上に政治的なイメージをばらまいている。ワケは簡単で、そもそもはきわめて政治色の濃い映画にしようと思っていたからなのだ。長くなるのでそのことはまた次回に書きましょう。